2011年6月25日(土)千葉県麗澤大学において、第7回学術大会・国際シンポジウムが約90名の参加者をえて開催されました。
午前の部 個人研究発表(発表25分・質疑5分) 9:30~11:45
第1会場 (あすなろ校舎 2410教室)
座長 永野 博(政策研究大学院大学)
1 岩本 英和(早稲田大学大学院博士課程)
エコツーリズムにおける「倫理と道徳」に関する一考察 ―世界自然遺産・白神山地を事例に―
2 小松 優香(千葉大学)
石橋湛山における「公共性」 ―公共哲学の観点から―
3 荒木 稔恵(日本ユネスコ協会連盟個人会員)
近代における仏教の東漸と西漸
4 平田 俊博(山形大学教職大学院)
ポリス的動物としての人間 ―サンデル対カント―
第2会場 (あすなろ校舎 2411教室)
座長 後藤 敏彦(地球システム・倫理学会理事)
1 鋤柄 雄司(公益財団法人モラロジー研究所)
日本における森林観の変遷を辿る ―鎮守の杜・林業・入会地に注目して―
2 永井 達彦(公益財団法人モラロジー研究所)
自然法則に基づく建築学ヴァストゥが地球に調和をもたらす
3 中野 佳弘(国際基督教大学社会科学研究所)
脱成長論による近代政治の再検討(試論)
4 川窪 啓資(麗澤大学名誉教授)
新しい地球倫理を求めて―覇権主義の終焉―
午後の部 国際シンポジウム (会場: 廣池千九郎記念館) 13:30~17:00
共催:麗澤大学比較文明文化研究センター
協賛機関:国際比較文明学会、日本比較文明学会、公益財団法人 モラロジー研究所道徳科学研究センター
総合テーマ: 新しい地球倫理を求めてー覇権主義の終焉
「人類は母なる大地を殺すのであろうか?もし、仮に母なる大地の子である人類が母を殺すなら、それ以後生き残ることはないであろう」とアーノルド・トインビーは述べている。
人類生誕以来の600万年の悠揚たる時間から見ると、その2万分の1という、瞬間に等しい時間帯に、科学革命が起こり人と自然が分離された。およそデカルトによる「人は自然の主であり所有者である」という自然認識こそが、産業革命を惹起したものであるが、この時から人びとの関心は急激に「存在」から「所有」に移る。以来、地球という水の惑星がはぐくんできた巨大な生命系の中に位置する人類は、他のすべてを支配の対象とし、母なる地球を、そしてその母が生み出した生きとし生けるものを自らの「進歩」という名のもとに簒奪してきたのである。
今日、国連機関をはじめとする国際世論喚起の数々の試みにも関わらず、地球環境は破壊され続け、日々100の生物種が地上から姿を消し、近い将来20億の人びとが飲み水にも事欠く事態が予想される。それと共に人類自体の滅亡さえもが囁かれるに至った。
しかしながら、明日を思わず、今日の利益を求める市場原理主義は、未来世代に思いを致すことがない。限りない欲望の追求が「自由」の旗印のもとに推し進められている。これが覇権主義の正体であり、その終焉こそが人類の明日の共生を可能にする条件である。
われわれが知るべきは、地球の砂漠化は人間の心の砂漠化から招来した、ということだ。
地球システムを救うには、今こそ新しい倫理が問われなくてはならない。すなわちパラダイムの転換が必須であるとわれわれは信じる。その新しい地球倫理の探究のためには、近代の戦争の文化を生み出した理性至上主義すなわち「父性原理」の徹底的な批判、すべての文明の深奥に通底する「母性原理」の見直しが行われなければならないとわれわれは信じる。「力の文明」から「生命の文明」への転換である。
世界の状況は、カントやユーゴーの夢見た「世界連邦」の成立には程遠い。しかし「地球市民」の意識の涵養は可能である。何故ならば、ミシェル・セールが奇しくも見てとったように、人間に切り裂かれた自然が、無言のうちに、人間に向かって再結集し始めているとすれば、この状況こそが全人類への「挑戦」であり、それへの「応答」が地上の全民族に求められているからである。
開会挨拶 近藤誠一(文化庁長官)
モデレーター 服部英二(地球システム・倫理学会会長)
パネリスト 松本健一(麗澤大学・比較文明文化研究センター長)
オーギュスタン・ベルク(パリ・国立社会科学高等研究院教授)
マイケル・パレンシア=ロス(イリノイ大学名誉教授、前国際比較文明学会会長)
ブーバン・シャンデル(国際哲学人文科学評議会副会長)
町田宗鳳(広島大学大学院総合科学研究科教授)
コメンテーター 伊東俊太郎(東京大学名誉教授、地球システム・倫理学会名誉会長)
村田光平(元註スイス大使、地球システム・倫理学会理事)
学会総会 (会場:廣池千九郎記念館) 17:10~17:45
レセプション (会場:廣池学園貴賓館) 18:00~