星寛治著『「耕す教育」の時代』
(清流出版、2006年、215頁、1600円)
清水良衞
(目次)
- [第1章] おばんちゃのおにぎり
- 小学校時代の風景
- 八月十五日の玉音放送を聞いた小学生
- おばんちゃのおにぎり
- 五感を超える情報化の激流
- 労働が作るコミュニテュイの命脈
- 磨かれた言葉の海を
- [第2章]今なぜ「いのちの教育」か
- 食と農の現場に子どもの出番を
- 現代っ子の豊かな表現力
- 川ガキと山ガキの姿が見えない
- 「君死にたまふことなかれ」のレフリーン
- 草木塔に共生の源流を見る
- 置賜の風土が生んだすぐれた先達
- 子どもたちを野に帰そう
- 食と農の現場に子どもの出番を
- 耕して種の播き、発芽を育てる感動
- 教育で身につける土の底力
- [第3章]環境教育と生涯教育の現場で
- 親たちが自分を磨く
- 「まず川に出かけよう」の行動
- 森に分け入り、里山を歩く行動
- 畑の土、田の土、山の土を調べる行動
- ゴミをエネルギーに循環させる行動
- 子どもたちが学校で学べること
- では、どこから手をつけるか
- 親たちがどこまで自分を磨けるか
- 有機的な四結合の教育力
- [第4章]近代が落ち込んだブラックホールを抜ける農の道
- 農が生命文化の主役を担う
- 「農民芸術概論」に魂を揺さぶられた日
- グローバル化の津波が容赦なく襲おうとも
- 縄文文化の系譜につながる風土
- 生命文明の主役を担う農の営み
- りんご園の蝉しぐれ
- 市場に出荷されない「りんご」
- 世界で一二四位!の穀物自給率
- 豊かな稲作農耕文化を取り戻す
- [第5章]みんなで農の豊かさを再考しよう
- 農が産業をこえる
- しだいに村が元気になってきた
- 中国の村で見た「桃源郷」
- 農の豊かさは産業をこえる
- 自給する暮らしの知恵とわざ
- 成熟社会の価値観を汲む
- ライフステージごとの生き方
- [第6章]耕す文化の原郷を訪ねて
- 南仏プロヴァンスへの旅
- ミレーの「晩鐘」「落ち穂拾い」と四度目の再会
- バルビゾン村でミレーの家再訪
- プロヴァンスの限りない魅力
- 南仏に広がる有機農業の風景
- リュベロン地方の村々をめぐる
- [第7章]『複合汚染』から三〇年
- わが内なる有吉佐和子
- 伝説の紅玉の樹は今も健在
- 警鐘から意識改革へ
- 三〇年で何が変わったのか
- 提携の意味を問い直す
- 作品の固有名詞で届けたい
- 提携の創造的な発展を
- [第8章]地域思想の源流を辿る
- 『地下水』同人になって
- 地域の窓から世界を見る
- 地域は「生きた小世界」
- 百姓の歴史が世界史につながる
- “農”の本質を見通す力
- 豊穣の土の贈り物
- 文化風土としての「村」
- 地域言語の感性と諧謔性
- 生命地域主義と結ぶ
- [第9章]「雨ニモ負ケズ」から七〇年
- 宮沢賢治と真壁仁
- たしかにここは修羅の渚
- 根底に脈打つ農の心
- 飢餓の風土性からの脱出めざし
- 風からも光からもエネルギーをとれ!
- 生涯を貫いた二つの大きな願望
- 「雨ニモ負ケズ」の未来性
- [第10章]大地を耕す文化・心を耕す教育
- 「風立ちぬ、いざ生きめやも」
- 「沈黙の春」に立ち上がった青年たち
- 農のもつ全体性が人間に本性を呼び覚ます
- 地道な土作りが人を育てる
- 黄金色に』波立つ田、茜色に映える無数の赤とんぼ
- 「風立ちぬ、いざ生きめやも」の心境
- あとがき
かって「農は国の本なり」という言葉があった。それが所得倍増計画から高度経済成長の時代に移ると、経済社会が拡大、物質的には益々豊かになる社会
が続く消費拡大の時代になると、私たちの多くは浪費になれ、これを放置した生産と消費の社会システムが出来ていき、その下で生活が続いていく。そして、こ
れを戒めるかの如くバブル崩壊が始まったが、今に至るも、物の消費の在り方に関しての、大きな影響はないようである。
この消費拡大の時代、日本人の間には農作物とこれをつくり出す大自然への感謝の気持や、「農は国の本なり」の意識は薄れていて、「もったいない」の言葉と共に、これらは日本人の日常から失われていったのである。
だが一方で、「石油の一滴は血の一滴」という言葉は時々に起きる国際変動の中で、特に中東産油国との関わりで、著者と同じ世代の私は、今で
もこれを日本の生存との関わりで思い出すことがある。事実、日本にとり石油は今日、戦場の血ならぬ産業維持の血となっているからである。
日本が高度経済社会となるに果たした石油の役割は大きかったが、それは同時に公害や自然環境汚染の問題を生むものとなり、しかもこの間に社会一般の
生活の中で、大量消費への批判と反省の声は大きくならず、成りゆきまかせの浪費が続いていたのであった。その中で唯一、石油消費について人々に考える機会
を与えたのは、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)からの「石油ショック」であった。日本の食糧自給率は米を除けば低く、石油に至ってはゼロに等しいこと
を考えるとき、食料資源と産業資源は共に日本存立上の大問題であることは、戦中戦後、一貫して変わっていない。これは日本の生存に関わる宿命的条件なので
ある。
私は石油と食糧のどちらが大事かを、ここで問うているのではないが、この二つの現実を考えるとき、「農は国の本」である前に、「農は命(いのち)の
本」である。その「農」と「土を耕やす」教育で児童生徒たちの「心を耕やす」ことに結びつけて来た人がいる。小中学校での農業実践を、その背後にある「自
然」の力に結びつけ、そこに人間が学ぶべきことの如何に多いか、そして尊いかを、著者はそれ迄の人生を通じて伝えよう、と地域の教育に問いかけているのが
本書であり、その実践の記録でもある。
そこでの教育実践と情熱は著者自身のこれ迄の人生の中で農事の傍ら、郷里高畠町で教育委員として過ごした24年間の実績に示されており、その実践教育には敬意を表し賞讃したくなる程で、著者の抱く現代風潮への思いが、私にも重なり読了したのであった。
評者が偶々、著者と同年とは言え、生まれや育ちも、そして人生の来し方も、背景を異にしているのは当然ながら、同じ時代の空気の中で激変の昭和を生
き、平成の時代を迎えているので、日本の現状を見るに、互いに似た思いがあるのは当然かも知れぬが、[農]の世界に若い頃から生きて来られた著者に対し、
私は石油という別世界に関わり、若い時代を生きて来たのだった。これについては本誌前号の特別寄稿『慎しみの心で自然との調和を―自然と人心の地球環境修
復のために』との一文に書いた通りである。
ここに採り上げた『耕す教育の時代―大地と心を耕す人びと』は表題にある如く、農の実践で「自然の大地」と「人の心」の両方を耕すために、
これを小中学校の実践教育にとり入れて、農作業の実際を自然の中で学び、かつ、農の技(わざ)を身につけさせようとの思いで始めた「ゆとり教育」の一環
だった。著者はこれにより、荒廃した現代の精神状況と文化状況の改善に資したい、とする提唱でもある。
それは地域教育再興への希望のもと、著者が住む山形県置賜地方の高畠町で、学校家庭地域そして行政の一体化した協力により、長年、実践して来たことの貴重な記録であると同時に、著者星寛治氏の人生論文化論ともなっているものでもある。
そこには、これ迄に書いた論文、紀行文、エッセイが十章に配されていており、歴史文化芸術等々の論文も農と教育という一貫性のもとに改められていて、著者のこれ迄の人生を反映するものとして興味深い、以下その章の表題をここに示してみたい。
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