刊行物‎ > ‎『会報』‎ > ‎『会報』第2号‎ > ‎

対論 文明の風土を問う―泥の文明・稲作漁撈文明が地球を救う

安田喜憲・松本健一・欠端實・服部英二著
『対論 文明の風土を問う―泥の文明・稲作漁撈文明が地球を救う』
(麗澤大学出版会、2006年、225頁、1600円
立木教夫

本書は、2004年12月に行なわれた麗澤大学大学院比較文明文化専攻の集中講義の記録を骨格として作成された対論の第二集である。第一集は、小林道憲・ 安田喜憲『対論 文明のこころを問う』(麗澤大学出版会、2003年)として既に刊行されている。本書は、地球生態系が豊かに存続し、世界の民族が平和に 共存することを願っている人々すべてが、手にとって熟読し、論者の洞察溢れる研究に導かれ、思考を深めることのできる価値ある一冊である。地球生態系破壊 の根源にあるもの、世界のいたるところで対立、破壊、戦争を引き起こしていることの根源あるものを、安田喜憲教授が、松本健一教授、欠端實教授、服部英二 教授の三人の対論者との共同作業のなかから紡ぎだし、明確化していく。

まず、内容的広がりを見ていただくために、目次を示そう。

  • 序 日本人よ、欧米文明の幻想から自立せよ
    • 安田喜憲
    • 歴史観の大転換が必要/自然の見方の転換も必要/稲作漁撈民のライフスタイルを取り戻せ
  • 第一部 泥の文明のパワー
    • 松本健一 X 安田喜憲
    • 第一章 泥の文明(稲作漁撈文明)と石の文明(畑作牧畜文明)
      • 柿右衛門の赤は太陽の赤?/縄文日本丸の提唱/島国の風土と稲作が生み出した人類文明史の奇蹟/畑作牧畜は資源収奪型農業/泥の文明の範囲/泥の 文明・稲作漁撈文明の奥深さ/森の文明・泥の文明が育んだ多神教の世界/夏雨の文明の神と冬雨の文明の神/水田稲作は高度な技術を必要とした知的集約産業 /日本人の心を破壊した戦後の歴史学/モンスーンアジアは人類文明揺籃の地/文明は東から西に伝播した
    • 第二章 砂の文明(遊牧文明)
      • 東と西の間で誕生した砂の文明(遊牧文明)/砂漠に誕生したネットワークの文明/領土を拡大する文明と領土をネットワークで繋ぐ文明の衝突/仮想 敵を作らなければやっていけないアメリカ文明/遊牧文明・媒体文明のキーワードは「交渉」/文明のキーワード/持続型文明社会の構築に向かって
  • 第二部 稲作漁撈文明と人類の未来
    • 欠端實×安田喜憲
    • 第一章 聖樹の崇拝
      • 聖樹を崇拝する森の民/聖樹崇拝が語る大民族移動
    • 第二章 殺し合いを回避する社会
      • 美しい棚田/殺し合いの紛争を回避する社会システム
    • 第三章 稲魂の信仰
      • 稲魂はお釈迦さまより上/稲作漁撈社会は女性中心の社会
    • 第四章 稲作漁撈社会における動物
      • 稲作漁撈社会は牛と魚を大切にした/聖樹によって守られる空間の入り口に鳥居がある
    • 第五章 中国少数民族の未来
      • 少数民族の未来は
  • 第三部 文化の多様性と生物の多様性を破壊する市場原理の超克
    • 服部英二 X 安田喜憲
    • 第一章 市場原理は過去のもの
      • 文化の多様性・生物の多様性を維持できる市場原理は存在しない
    • 第二章 文明は衝突しない
      • 文明の対話が重要/敵を作る文明と和をなす文明/イスラムの歴史を抹殺する意図がある
    • 第三章 森を守る文明は和をなす文明だった
      • 敵を作る文明は森を破壊する文明だった/稲作漁撈文明のエートスを世界へ
  • あとがき

対論では、さまざまな話題が興味深く検討されているが、ここでは、畑作牧畜文明と稲作漁撈文明の比較のなかから、地球環境問題に関連する話題を抽出し、どのような解決策が模索され、提案されているのかを見ていくことにしたい。

拡大型文明から持続型文明へ

 安田教授は松本教授との対論を通して、文明の基本的なエートスを、「石の文明・畑作牧畜文明は「拡大型」、砂の文明・遊牧文明は「交渉型」、そし て泥の文明・稲作漁撈文明は「持続型」」と明確化した後、「私は、21世紀に一番必要なのは、泥の文明・稲作漁撈文明のなかで醸成されてきた持続型文明社 会だと考えているのですが、そこはいかがですか」(103)と質問を投げかけている。
これに対し、松本教授は、「これからはそうですね」と同意し、近代を導いてきた「エキスパンション(拡大)」と「民主」の理念は、有限な地球における「持続」と「共生」という理念に移行していくことが重要だと、地球文明の向かうべき方向を明示している。
「今までは「外に進出する力」が強かった。それが近代にあっては絶対的力を持っていました。・・・しかし、これからの社会は、現時点での人口も64億人で すが、2050年には100億人になるだろうといわれています。一方では、地球上にある資源は、ほとんど枯渇する寸前にある。そうすると、それだけの人口 が、なおかつまだ外に自分たちの生活の手段を求めていく、あるいは住居や産業のためのテリトリーを求めていけばどうなるのか。今、実際に月まで視野に入れ ていますけれども、そういうことで科学技術が発展してきた時代が過去にあったにせよ、これからの時代にあっては、この地球で100億の人間が住んでいける か、と考えると、それはかなり難しくなってくる。そこで、それぞれの風土に立脚し、そこでとれるものを持続的に内に蓄積し利用しながら、そしてまた、その 環境を将来に残していく方法を考えなければならないだろう。近代が終った時点、というのが現在だと思いますが、そこでは西洋文明が外にエクスパンション (拡大)する限度がきていると考えた場合、泥の文明のなかで培われてきた、つまり西洋近代の「民主」という理念ではなく「共生」という理念が、これからの 世界史のなかでは必要になってくるのではないかと考えています。」(103-4)

自然支配から自然順応へ

 有限な地球における「持続」と「共生」を可能にする文明はいかにして可能か。ここにおいて、自然とともに生きる技術を持っている稲作漁撈文明に光が当てられる。
安田教授は、「今までは自然を支配し、自然をコントロールする、あるいは、農耕地をいかに人力を使わずに拡大するか、いかに早く、いかに広く大きくするか という技術を西洋文明は開発してきた。しかし、21世紀は地球は小さくなっているので、そのなかでいかに自然にやさしく接し、そのメカニズムを細かく精緻 に繊細に学んで、いかに自然とともに生きるかという技術を発展させることが大切になってくる。その技術を持っているのが、じつは稲作漁撈民なのです」 (100-1)と述べる。 これを受けて松本教授は、自然をコントロールする技術と、自然とともに生きる技術の差を、効率と持続可能性の観点から、具体的に展開する。 「西洋科学は、この地球の「石の風土」があまり生命を育てる力がないときに、たとえば肥料の三要素であるチッソ、リンサン、カリウムの三つが生物を育てる ために不可欠である、という答えを導き出すことができました。こういう科学はアジアでは生まれていません。そしてこれらを開発することで、それまでまった く作物が育たなかった環境でも、水さえあれば、肥料を入れることで植物は成長するようになります。そういう合理的な方法を考えるので、できるだけ早くもの を作るためには、そういう科学が発達したほうがいいのです。ところが、ひとつの土地を1000年、2000年使い続けるというものの考え方は、アジア的な 自然観と時間感覚です。」(111)

聖性を認める心

 自然とともに生きてきた文明にも、希少資源をめぐる争い、たとえば、水をめぐる争いはあったと思われる。これをうまく乗り越えて持続を可能にして きた智慧は何であったのか。安田教授と欠端教授の対論においてこの問題が論じられている。 安田教授は、「21世紀は地球環境問題から水をめぐる争い、資源をめぐる争いが起こると想定されるわけですが、そのときに西洋的な問題解決型のシステムを 持ってくると、力で解決することになる、殺し合いになります」(148)、「水や環境、資源をめぐって紛争が起こったときに、少数民族の人々は、伝統的に どうやって解決してきたのか」(148)と問うている。
これに対する答えのなかで、欠端教授は「聖樹など聖なるものの存在を認めているハニの人々が、徳望が高い人のなかに聖性を認め、その判断に従おうとしていることはたいへん面白いと思います」(149)と述べている。  安田教授は、ポイントは「アニミズム」にあるとして、さらに次のように展開する。
「アニミズムの世界、つまり聖なる木を崇拝する人々、あるいは聖なる山を崇拝する人々の間では、争いは起こっても、それは殺し合いにまで発展させずに、上 手に解決している。そこに自然風土との関係のなかで醸成されたアニミズムの心が、人類の未来において果たすべき重要な役割が語られているのではないでしょ うか。つまり、聖なる木を崇拝する心は、他者の命を畏敬する心でもあるわけです。紛争が殺し合いの血みどろの戦争にまで発展しない社会システムが存在する 背景には、聖樹を崇拝するアニミズムの宗教が深くかかわっているのではないでしょうか。聖樹を崇拝する心が、他者の命を畏敬するアニミズムの心が、殺し合 いを回避しているのではないでしょうか」(151-2)。

そのもの自体に人間の力を超える神さまを認める

 アニミズと聖性の重要が指摘されたが、さらに、稲作漁撈文明における両者の関係の特徴が明らかにされていく。つまり、欠端教授が、「聖樹など」と か、「徳望が高い人」と述べておられるように、抽象的な聖性ではなく、具体的なもののなかに聖性を認める心の重要さが、安田教授と松本教授の対論のなかで 明らかにされている。
安田教授が、「質問したいのは、しかし片方は夏雨地帯、片方は冬雨地帯ですが、同じアニミズムの神、多神教の世界であっても、それぞれに違いがあるとお考えですか?」(60)と問う。
松本教授は、「違いはあると思います。それは、たとえばギリシア神話にはたくさんの神がいるといったけれども、それらは酒の神バッカス、太陽神アポロン、 美の女神ヴィーナスというかたちで、かなり抽象的な神になっています。もちろん、たとえば具体的な海の神さまポセイドンなどもいますけれども、ひとつひと つの生物の霊というか、力をすべて神に認める例は見られません。日本ならアシカビといいましたが、アシカビのアシは普通に漢字で「葦」と書きます。そし て、カビは「牙」と書く。葦の牙状の芽が次々と生えてくる。そして、そのアシカビが神になり、クイや木も神になる。インドなどでも、蛇や猿が神になる。そ のもの自体に人間の力を超える神さまを認めるという発想は、ヨーロッパのギリシア、ローマにはないんです。」(60)

 稲作漁撈文明に見られる、「そのもの自体に人間の力を超える神さまを認めるという発想」は、これまで支配的であった、「人間が頭で考えた超越的秩 序をもったもののみが文明の資格がある」としてきた畑作牧畜文明とは異なる文明を導き出す。安田教授は、服部教授との対論のなかから、この超越的秩序の例 として、「自由と民主主義」、「市場原理」、そして「龍」を挙げている。「龍」と、稲作漁撈民の文明に見られる「ヘビ」を対比し、超越的秩序の問題点を論 じていくなかで明確化されていくのが「命」の重要性である。
「ところが、ヘビを崇拝している稲作漁撈民は現実に存在する生物としてのヘビを崇拝します。ヘビになにかを付け加えたりはしない。現実に自然界に存在する ものを、命あるものをそのまま崇拝している。大木への崇拝もそうです。自然に存在する現実的秩序を大切にし、命あるものに手を合わせて拝む民族と、抽象的 に人間が考え出した命のない超越的秩序を崇拝する民族の違いがある。そして、抽象的に人間が考え出した超越的秩序を崇拝する民族が、現状では世界を支配し ている。漢民族も、龍のシンボルを基盤にしている。この龍は自然には存在しません。人間が頭で考え出した超越的秩序で、世界を支配していく。デカルトの理 性も、人間があとから考え出したものでしょう。それによって近代文明が世界を支配していったわけです。二つの文明を分けるキーワードは「命」です。
21世紀の地球には、しかしながら、この超越的秩序を振りかざして、領土を拡大し他民族の文化を侵略するだけのゆとりはもうなくなったのではないでしょう か。この限られた小さな生命の惑星地球のなかで、100億に達しようとする人々が肩を寄せ合って生きていかなければならないのです。その時に、自分の頭で 考えたことだけが絶対正しいと主張する前に、まず目の前のこの地球の命あるものの連鎖のありのままの姿としての現世的秩序を、もう一度見直す必要があるの ではないでしょうか。
もう人間中心の哲学はいらない。もし新しい哲学が必要だとすれば、それは現世的秩序を正しく見つめ直す世界、この地球の命あるものの連鎖の世界を正しく認 識することのなかからしか生まれないのではないでしょうか。「聖樹と稲魂に感動する心」のなかからしか生まれてこないのではないでしょうか。そのことを稲 作漁撈民は一万年以上の文明の伝統のなかで語り継いできたのだと思います。」(213-4)

対話がもつ可能性

 比較的手法を駆使して、畑作牧畜文明と稲作漁撈文明の違いを鮮明にしてきた対論は、我々をどこに導いていくのだろうか。異質性を主張しながら、「文明の衝突」を繰り広げていくのだろうか。
服部教授は、安田教授の「どのようにして新たな人類文明を構築していったらいいのか」(187)との問いに、次のように答えている。
「文明とは―これは、すべての文明ですが、絶えず互いに出会い、出会いによって成長してきた」(197)のであり、文明は「他を必要としている。他の存在 を必要として[おり]」(198)、「文明は絶えず出会ってきたし、対話してきた」(199)し、「文明は、互いに対話しながら生きている」(202)。 そして、多様な文明が存在し、「他なるものがあるおかげで私も生きている、という認識が生まれるときに、人類は救われるのではないかと思います。それが互 敬ということ、mutual respectです。互いに敬うと書いて、それが直ちに互恵―互いに恵みあうという意味になるんです。そうしたなかでは、文明が衝突することなどあり得な いのです」(204)と、ユネスコで長年に亙り、実地に「文明間の対話」を調査・推進してこられた生きた経験を踏まえて、断言されている。

 対論の間に興味深い洞察がいくつも語られている。ここで、一人一点のみ、紹介してみよう。

 「・・・この「永遠の今」を、彼[西田幾多郎]は仏教のほうから導き出すのですが、その根底にあるのは日本の米作りです。」(70/松本)

 「近代科学では解明できないそういう迷信が生まれる心の基底が大事だと思うのです。」(130/安田)

 「タイ族にとって一番重要なのは、米の神様、稲魂です。そこへ仏教が入ってきて、お釈迦さまとどちらが偉い、という問題になってしまったのです。結果としてお釈迦さまが降参してしまいました。」(153/欠端)

 「・・・シヴァはヒマラヤに住んでいます。ヒマラヤのなかでもカイラス山です。カイラスは聖地です。このヒマラヤの白い雪について考えているうちに、アッと気がついた。森だ、と。/ヒマラヤの白い雪は、森なんです。」(207/服部)

 この先、どのような展開がなされていくのかについては、興味をもたれた方々がご自身の目で確認していただくことにしましょう。

安田教授は、本書の目的を、「日本人がよって立つ足元の稲作漁撈文明の価値の再発見を行い、その稲作漁撈文明によって新たな文明世界を構築する事を 提案するものである」(10)と書いておられる。まさに、さまざまな角度からこの目的に光を当て、対話と比較の手法を駆使しながらその意義を明らかにして いる。安田教授は、ご自身、2005年にパリのユネスコ本部で行なわれた「文化の多様性と通底の価値」と題する国際シンポジウムをはじめ、「水と文明」 (第四回水の歴史国際協会)、「水の比較文明」(国際比較文明学会)等々で発表し、西洋世界に訴えかけてきた経験を通して、「いよいよ我々もこの稲作漁撈 文明のエートスとアニミズムの世界を自信を持って世界に発信するときがきたようです」(220)と、確かな手ごたえを感じておられる。
本年11月5・6日(京都国際会議場)、7・8日(東京・国連大学)に、ユネスコ、国連大学、モラロジー研究所道徳科学研究センター、京都フォーラムの共 催で、「文化多様性への新しい賭け―対話を通して通底の価値を探る」と題する国際シンポジウムが開催される予定であり、安田教授は発表者の一人に名を連ね ておられる。本書で提示された「稲作漁撈文明のエートスとアニミズムの世界」が、どのような新展開を見せ、世界に発信されていくのか、大いに楽しみであ る。