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環境問題解決における宗教教育の重要性

環境問題解決における宗教教育の重要性
小林節子

1.なぜ「宗教教育」か

演者は地方自治体の環境関連研究機関で技術面から河川・湖沼の水環境改善に携わってきたが、その中で、水環境も今の世の中の物質主義的・享楽主義的 な価値観が転換されないと、根本的な解決へ向うことは難しいことを痛感してきた。地球温暖化をはじめとする環境問題とは、図1に示すように「人間活動に よって自然生態系が破壊されること」である。人間生活は便利で快適なものになったが、それは自然生態系へのツケ回しによるものであり、その結果自然生態系 の一部である人間の生存基盤が今や危うくなっている。このような環境問題を解決していくためには、遠回りのように見えるかもしれないが、人々が心の奥底で 自分以外の生き物の生命をも、自分の生命と同じように大事に思うという宗教的感性をもつことが極めて大事である。人間の価値観の根底を形作るのは宗教であ り、したがって環境問題解決にも、宗教心を養うための教育が不可欠であると思われる。
「イーハトーブ」は宮沢賢治の造語であり、「環境イーハトーブ」とは環境を基軸とした望ましい社会像を描いていこうという意味で名づけたものである。法華 経の信奉者であった賢治の作品には、仏教の心がよく表わされていることから、ここでは賢治の作品などを通して環境倫理や宗教をどう捉えるか等をみていき、 環境を基軸とした望ましい社会像の基盤となる思想とはどのようなものなのかを、宗教教育の問題を通してみていきたい。

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2.環境問題解決のキーワード

NPO法人・環境文明21では、十数年前から環境倫理に取組んできており、また環境問題解決のキーワードとして「①技術、②社会制度、③価値観」の 三つの要素を提起してきている。①技術は技術革新のことであり、例えば、自動車排ガス対策技術、水質浄化技術、自然エネルギー活用技術などである。②社会 制度は法律・条例等の制定であり、例えば、1993年の環境基本法の制定によって市民参加が法律で位置付けられたことから、ここ十数年の間に行政と市民と が協働して環境問題に取組むという流れが生れている。③価値観は“ものの見方・考え方”であり、「環境倫理」と呼ばれているものであるが、私は一般の人に も分りやすいように「環境の心」と呼んできている。①技術も、②社会制度も、何を選択するかは、その社会を構成する人々が持つ価値観によって決ってくるこ とから、③価値観の取組みは極めて重要であり、これが宗教教育と関わってくるところである。

3.「環境の心」<環境倫理>について

従来の倫理は、国や地域が限定された「人間倫理」の面が強かったが、「環境倫理」は自然生態系を含んだ、世界全体に通用するルールであると言える。 表1に示したように、環境倫理は「世代間倫理・南北間倫理・生き物倫理」の三つに分けてみることができる。それらは、それぞれ、「永遠性・普遍性・連関性 と独自性」を表わし、環境分野の「持続可能・地球市民・共生」と対応している。また、表中には宮沢賢治の作品等も挙げてある。このようにみると、「環境の 心」は仏教がもつ思想と変らないのではないかと思われ、「環境の心」の根底を形作るのは宗教思想ではないかと考えられる。

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4.「宗教」をどう捉えるのか

本来「宗教」という日本語は、明治初期に日本へ西洋文明が移入された時に、religionの翻訳語として、仏典で使われていた「宗教」という語句 が当てられたものである。仏教哲学者中村元によると「仏典で『宗教』という場合は、『宗』と『教』に区別して考える。『宗』は人間が基づくべき元のものと いう意味であり、我々の思議を超えている言葉では表わせないものである。したがって『宗』の段階では矛盾も対立もないのである。これに対して『教』は、 『宗』を人に解き明かすために言葉を用いて表わしたものであり、人を導いて根本の境地へ連れていく手段であって、いくつあってもかまわないのである。」。 これを図2のように表わした。「宗」は一般には「永遠不変の真理、宇宙万物の根源的生命力」などと表わすことができるが、中村元は「慈しみの心、温かな 心」と表現している。
このように考えると、各々の歴史・風土・民族などの違いによって「宗」を説くための「教」は異なって当然ということになる。また、いろいろな宗教や宗派の 「教義」というのは「教」を指すことになるので、教義の違いによって争うことはないということになる。  図3には宮沢賢治の宗教論ともいえる『農民芸術概論綱要』の内容を、「宗」と「教」との関係として表わした。賢治によれば「宗」は、「銀河系意識、第四次 元の芸術、世界ぜんたいの幸福」であり、「詩歌、音楽、絵画、演劇、論文、教説、」など、各人に合ったことを通して「宗」を表現し、体得していけばよいと いうことになる。

5.日本人の精神性の変遷

図4に、日本人の精神性(宗教・道徳)の変遷として、日本の国が取ってきた政策を単純化して表わした。明治の近代化前の時代は、「日本人固有の思 惟」を基底として、民族宗教としての神道があり、普遍宗教としての仏教があり、社会道徳としての儒教があり、それらが互いに混じり合って、日本人の精神性 が形成されてきた。それが、明治維新の王政復古により神仏分離が行われて仏教が排除され、更に、戦後は国家神道と儒教道徳が排除されたため、現在は「日本 人固有の思惟」だけが色濃く出ている、と言えるのではないかと思われる。戦後の日本においては、公には国民が精神性を獲得できるようなことは行われて来な かったため、人間のあからさまな欲望を抑制するようなことができなくなり、そのツケが現在、いじめによる子どもの自殺など多くの社会問題として現われてい るのではないかと思われる。環境破壊もこのような精神性の下で拡大してきたものと考えられる。

6.宗教教育の重要性

本来の宗教の意味からすると、宗教教育とは一人一人に合った分りやすい教えや方法によって、人間が基づくべき根本のものである普遍的な理法を体得さ せるために行うものである。このような立場に立てば、その方法はいくつあってもかまわないわけであり、仏教の各宗派の教えも、神道の教えも、キリスト教の 教えもよいわけである。図5に示すように宗教教育とは、「日本人固有の思惟」といわれている「山川草木を愛し、芸術的感性が豊かな反面、一国主義的で現世 享楽的、非論理的な傾向がある」というような精神性を、「宗」という普遍的な精神で包むことではないかと思われる。これは日本人の独自性をも生かすことの できる現代という時代に合った「宗教教育」であり、このようなことができれば、日本人の精神性は世界に通用することになると思われる。
以上のような宗教教育は、環境問題の解決のみならず、現在生じているさまざまな社会問題の解決にも必要だと思われることから、この学会でも宗教教育の是非や方法を広く議論して頂きたいと思っている。

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