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地球環境ガバナンスと地球倫理

地球環境ガバナンスと地球倫理
北村 治

はじめに

政治・経済・文化のグローバリゼーションが急速に進行する現在、国境を超える普遍的な倫理は可能なのかという問いが、哲学や倫理学、国際政治学といった学 問領域を超えて、現実世界にとって不可欠な問いとして出されるようになった。それは、倫理的価値は普遍的か相対的かという根源的な議論には収まらず、地球 温暖化や酸性雨、オゾン層の破壊など地球環境問題に特徴的な地球的規模の問題に対して、現実に地球的規模の解決枠組みを要請する新しい倫理=地球倫理が必 要になったことと関係している。
しかしながら、たとえ人間が倫理的に行動したとしても、地球倫理が存在しさえすれば地球的規模の問題が解決するわけではない。それには、人間と環境が共生するための地球環境ガバナンス(共治)が必要である。
こうしたことを踏まえて、本稿は、地球環境倫理と地球環境ガバナンスの可能性について検討する。

1.環境の地球倫理―地球環境倫理の3つの視座

環境破壊の影響が一国内にとどまらず国境を越え、地球的規模にまで広がる地球環境問題に対して、国益を超え、また世代を超えて人類全体の利益(人類益ある いは地球益)を守るという観点に立脚した取り組みが不可欠である。そうした取り組みの方向性を示すのが、環境に関する地球倫理、すなわち地球環境倫理であ る。地球環境の有限性を示すさまざまな問題が発生し、人類あるいは地球全体の福利を満たす個人の行動のあり方が問い直され、将来世代も含めた世代間の公正 に関わる問題が浮上するいま、あらゆる行動において当事者が環境との関係の中でどのような価値判断を下し、行動選択をするかということを示す環境倫理の範 囲をグローバルな規模にまで拡張する必要があるのではないだろうか。地球環境倫理は、大きく3つに分けることができる。
第1にフロンティア倫理とは、フロンティア(辺境)を無限に拡大することによって、永続的な人類の発展が可能になるという倫理である。人間が自然 の支配者であり、自然は人間の欲望を満たすための手段とみなす人間中心的な倫理観がそこにはある。このような倫理観は、近代以降の急速な経済成長という人 間の目標に役立ち、豊富な資源と際限のないフロンティアが存在する間は有効であるように思われた。しかし、人間の活動が巨大化し、地球の有限性に認識され ているいま、地球の無限性を前提とするフロンティア倫理は有効性を失ったといえる。このため、フロンティア倫理の支持者は、たとえ資源が限られていても、 科学技術がその汚染と枯渇の問題を解決し、フロンティア倫理を追及できるという、「科学万能主義の神話」へとその前提を方向転換したといわれている。科学 技術を無視することはできないが、こうした科学技術のみで問題を解決しようとする考え方には問題が内在している。
第2の救命ボート倫理は、アメリカの倫理学者ギャレット・ハーディンによって提唱されたものであり、それは、人間が共倒れにならず生き残るために は、環境や資源を保全する必要があり、そのためには、多くの人間の犠牲を必要悪とみなす倫理である。この倫理は、ほどほどの人が乗船している救命ボートを 「豊かな国」(「北」)に、また猛烈に混んでいる救命ボートを「貧しい国」(「南」)とみなす発想が根底にある。貧しい国の人々は、混雑している救命ボー トから、余裕のある豊かな国の人々が乗る救命ボートに乗り移ることを願うが、余裕のあるボートでは、彼らの乗船を認めるかどうかの問題が起きる。ハーディ ンは、混雑したボートの乗客全員に対して余裕のあるボートへの乗船を認めると、すべてのボートが沈み「完璧な正義の実現が完璧な破局」になるとし、この問 題を解決するためには、「豊かな国」のボートのことだけを考えるべきだと主張している。これに基づき、ハーディンは途上国に対するすべての援助を否定し、 「豊かな国」の将来世代の権利を守ることの倫理的正当性を指摘する。しかし、この倫理は、反人間的であり、「最も貧しい人の最大の利益となるように富を再 配分すべきである」というグローバル正義(配分的正義)の観点からも問題が内在していることは明らかである。
第3の宇宙船地球号倫理は、地球を閉じられた有限のものとして宇宙船に例え、人類をその乗組員とみなし、そこで人類が生き残るためには、相互関係 で結びつく自然との間にバランスを取っていく必要があるとする倫理である。宇宙船地球号倫理によると、人類と自然の本来的な福利は、双方とも結びついてい るため、いずれか一方を優先させることはできない。それは、フロンティアを無限に広げていくことで、永続的な人類の発展が可能になるというフロンティア倫 理や、共倒れを防ぐために途上国支援を否定する救命ボート倫理に対抗する、人と人、人と自然との共生の倫理にほかならない。K.シュレーダー=フレチェッ トによると、現存する地球環境問題は、宇宙船地球号倫理を採用せず、フロンティア倫理を追及してきた結果である。したがって、人類は、地球の有限性・閉鎖 性・関係性(相互性)を前提とした宇宙船地球号倫理を社会システムに採用する必要があり、そうした社会は、人口・工業化・経済成長の制限の原理に立つこと になるとされる。
この3つの地球環境倫理中でも、とくに1970年代初頭にケネス・ボールディングらによって広まった宇宙船地球号の倫理は、これまでの無限の成長 と発展という神話に対して、地球を一つの宇宙船とみなして地球市民の倫理の必要性を示唆した点で、今でも、あるいは今まさに重要であると言える。ただし、 宇宙船地球号の舵を握っているのは超大国のアメリカであり、一等船室いる「北」の人々と船底にいるアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの「南」の人々の 間の経済格差=グローバルな不正義の是正や貧困撲滅なくして、「北」にいるわれわれが「南」の人々に対して宇宙船地球号の倫理を強要することは倫理的倒錯 であり、先進国中心主義のそしりを免れない。とはいえ、地球環境問題の深刻化とグローバル化をうけて登場した宇宙船地球号の倫理によって、世界中の人々 は、地球は一つ(世界は「豊か」な世界と「貧しい」世界とに二分しているが)であることを意識せざるを得なくなってきている。

2.地球環境ガバナンスとは何か

こうした宇宙船地球号の倫理を実践するためには、たとえ地球的規模での包括的な枠組みが必要であるとしても、統一的な支配であるグローバルなガバメント (・・・・・)(世界政府)をつくるのではなく、多様なネットワークからなるグローバルなガバナンス(・・・・・)(共治)を実現することが要請される。 すなわち、グローバルな「ガバメントなきガバナンス」の探求である。単に国家のみならずNGOなどの市民社会組織が、地球環境問題という共通の問題に取り 組むためにネットワークを結ぶこと、それが地球環境ガバナンスである。
ではそもそもグローバル・ガバナンスとは何か、その概念について簡単に説明しておく。1992年、ドイツのブラント元首相やスウェーデンのカール ソン首相などのイニシアチブで、グローバルなガバナンスについて検討され、改革案を提言する有識者によるグローバル・ガバナンス委員会がつくられた。そし て、1995年に報告書Our Global Neighborhoodが刊行された。その報告書によれば、グローバル・ガバナンスとは「公的および私的な個人や組織が共通の問題群を管理・運営する多 くの方法の総体」である。それは、国家だけでは解決しえないなった地球環境問題などのグローバルな諸問題に対して、倫理的な視点を織り交ぜながら、国家や NGOが共同・協働して国際社会の規範や制度を再構築して対処していくことを促す。

おわりに

地球市民としてわれわれは、地球環境問題に代表される地球的規模の倫理的・実践的な問題を共有しているいま、こうした問題を解決するために、従来の国家中 心の思考を改めて、地球環境の倫理・実践の範囲を地球全体へと拡張しなければならない。すなわち、宇宙船地球号倫理を基礎とする地球環境倫理の確立であ る。その意味で、地球環境問題の解決に向けた有効な視座を提供する地球倫理の実践が急務の課題である。地球環境ガバナンスは、それを助けるであろう。環境 問題が国境を越えるなかで、地球環境ガバナンスが促す地球倫理は、国境の前で立ち止まるべきではない。
最後に地球環境倫理を含む地球倫理を実践するうえで重要な思想についてふれておく。それは、「コスモポリタニズム(世界市民主義)」である。古代 ギリシアの哲学者ディオゲネスが初めて唱えたコスモポリタニズムとは、古代ギリシアの都市国家ポリスを超えるコスモポリスを想定し、民族や人種、宗教に関 係なくすべての人は世界の市民であるという思想である。その背景には、アレクサンドロス大王の出現とポリスの衰退により「ポリス中心主義」が崩れたことが ある。その後、コスモポリタニズムは、ストア派の哲学を経て、人間の理性を信じた18世紀ドイツの哲学者カントによって、彼の平和構想のなかで具体化して いった。グローバル化の時代といわれる今日、国民国家が相対化するなかで、この思想が再評価されている。