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シンポジウム「地球システムと地球倫理」司会者報告

シンポジウム「地球システムと地球倫理」司会者報告
後藤敏彦
頼住光子

 地球システム・倫理学会第2回学術大会において、「地球システムと地球倫理」というテーマのもと、一般市民を含む多数の参加者を得てシンポジウムが行われた。サブテーマとパネリストは以下の通りである。

  • 「生命システムと倫理」:松井孝典・東京大学大学院教授(惑星科学専攻)
  • 「環境システムと倫理」:加藤尚武・元鳥取環境大学学長(応用倫理学専攻)
  • 「文明システムと倫理」:服部英二・ユネスコ特別参与(比較文明学専攻)
  • 「文化システムと倫理」:島薗進・東京大学大学院教授(宗教学専攻)

 まず、パネリストのそれぞれの発表要旨を紹介しよう。

松井孝典氏は、海の誕生と進化を解明した「水惑星理論」で世界的に有名な惑星科学者であるが、近年積極的に環境問題、地球システム、環境倫理などに関する 提言をしていることでも知られている。松井氏は、パネル発表において、ラブロックのガイヤ理論については批判的ながらも地球システム理論の発展に多大の寄 与があったことを指摘された。そしてシステムは、構成要素、関係性、駆動力からなることを話された後、現在問題となっている地球環境問題の解決に向けて、 三つの問題が重要であると主張する。一つは、われわれば欲望をどのように制御するのかという問題、二つ目は、急激に拡大する人間圏内部の駆動力により物質 循環が加速されすぎているという問題、三つ目は、このような深刻な事態に対するわれわれの理解と認識の問題である。松井氏は、一つ目の欲望の問題に対し て、「レンタルの思想」を提唱される。これは、自分の体そのものも借り物であり、自分の所有ではないということを自覚し、あくなき所有欲を否定する考え方 である。二つ目の駆動力による加速の問題に対しては、「地産地消」(それぞれの土地でできたものをそれぞれの土地で消費する)を促進するなど循環のスピー ドを緩めることが主張される。三つ目の理解と認識の問題に対しては、自分と対象を切り離す要素還元主義的な「分かる」と、自分と対象とを切り離さず体得的 体感的に理解する「納得する」との違いを踏まえ、地球環境問題に関しては、「分かる」レベルだけではなくて、「納得する」レベルまで理解認識する必要があ るとする。

 加藤尚武氏は、我が国の応用倫理学研究の先駆者にして第一人者である。加藤氏のパネル発表においては、現在深刻化している地球温暖化問題について、他の 分野の問題とのかかわりの中で検討することの重要性が指摘された。つまり、地球温暖化問題の解決策として自然エネルギーの開発が注目され、食料をエネル ギー資源に転用する技術が開発されているが、そうなると今度は深刻な食糧問題が起こりかねない。また、昨今さかんに報道される金属泥棒のニュースに見られ るように、世界的に金属不足が深刻化しているが、金属不足を補おうと再生利用する過程で、ますます化石燃料などのエネルギー資源が不足するという事態も起 こる。このように、環境問題は、それのみで解決を図るのではなくて、さまざまな分野との関連の中で対処すべき問題であることを、加藤氏は具体的な数値を挙 げながらわかりやすく説明され、説得的であった。

 服部英二氏は、ユネスコを舞台に多くの国際会議や事業を組織し、「文明間の対話」を促進してきたことで知られる比較文明学者である。パネル発表におい て、服部氏は、地球環境問題をも含む近代文明の問題性について指摘し、それらの問題性の根源に、直進的時間観念と自然を征服対象とする文明観があるとす る。直進的時間観念とは、世界創造と最後の審判によって時間の始まりと終わりを設定するユダヤ・キリスト教的観念であり、そこから、近代の「限りない進歩 の追及」という進歩主義が導き出されるという。そして、限りない進歩は限りない自然征服とも重なる。しかし、このような方向性は、近年深刻化する地球環境 問題にも顕著にあらわれているように行き詰まり、カタストロフィーが近づいている。理性至上主義のもと支配し所有することばかりを追い求め破滅に瀕してい る現代人に対して、服部氏は、「循環の時を共有した諸文明のルーツに遡り、古代の知恵を再発見すべき」と訴え、「直線的進歩」ではなく、循環や調和、バラ ンスを尊重した東洋の叡智、古代の知恵に今こそ学ぶべきであると言う。そこには、自然や他者を、自己と対立するもの、支配、征服するべきものとして捉える のではなくて、自己の存在にとって不可欠な「共成」すべきもの、つまり出会いによって生成しあうものとして捉える豊かな哲学が息づいているのである。

 島薗進氏は、グノーシスからオウム真理教まで幅広い宗教現象をについて取り組む現代日本を代表する宗教学者であり、近年は、死生学や生命倫理の分野でも 活躍している。島薗氏は、パネル発表において、普遍的な地球倫理の探究だけでは限界があり、文化的多様性に応じて倫理も多様なものにならざるを得ないと指 摘するとともに、その多様性を正確に理解していないと議論自体が混乱しかねないことにも言及された。そしてその上で、現代われわれが倫理に関して考える上 で参照枠することの多い、「理性による自律」など、人間のある特別の性質をもって倫理の根拠とするような考え方自体に疑義を呈する。つまり、このような考 え方は、神との関係において個の尊厳を意義づける一神教的土壌から生まれたものであり、普遍的なものとして押し付けられるべきものではないというのであ る。「自律」を求める人間観は、ともすれば、人間の能力のあくなき拡大の欲望を制御できず、人体の改造などエンハンスメント問題を引き起こし、また、自律 できない弱者の切り捨てにもつながりかねない。しかし、人間は、本来、ともに生きる存在であり、尊厳とは、何らかの特別な能力ゆえに発生するのではなく て、ともに生きるという基盤においてこそ生まれるものではないかと島薗氏は問いかけるのである。

 以上、簡単に要旨を述べたが、それぞれの分野で第一人者である四氏のパネル発表は、充実した聞きごたえのあるものであった。特に、四氏が、それぞれの分 野から、近代文明の行き詰まりを、小手先のその場しのぎによるのではなくて世界観人間観のレヴェルに根ざして根源的に解決することを訴え、さらに、その解 決の方向性がある共通性をもっていることは印象的であった。フロアからも四氏のそれぞれの発表内容について数多くのの質問が出され、限られた時間ながら活 発な質疑応答が交わされた。理系、文系の専門家、一般市民が一堂に会して共通のテーマ、関心にそって議論を深められたのは、私どもの学会にとって大きな収 穫だったと思う。 参加者の中には、このような議論が、机上の空論であり、差し迫った環境問題にいったいどのような有効性をもつのかという疑問もあった。この疑問は、環境問 題に限らず、学問研究(特に文系のそれ)に対して常に現実的立場から投げかけられる疑問である。このような疑問が呈されていることを心におきながら、しか し、すぐに役に立つことだけが役に立つことではなく、幅広く全体的、根源的な提案を行うことが、地球環境問題における私どもの学会の重要な責務であること を改めて訴えたいと思う。

(文責:頼住・後藤)