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文明システムと倫理

文明システムと倫理  ―直進型文明から循環型文明へ―
服部英二

自然は曲線を創り、人間は直線を創る。
(湯川秀樹)

地球温暖化は、単に科学や政治の問題
でなく、モラルの問題なのです。
(アル・ゴア)


1. 直進する時

「過去2000年のシンボルは<矢>であった。ユダヤ・キリスト教的一神教に発した<時>は,一方向性を持って突き進んだ。<進歩>という概念がそ こから生まれた。それに対し、来たるべき三千年紀のシンボルは<星座>であらねばならない。それは多文化社会の尊重ということである。」 1997年、地中海を望む往時の絹の港バレンシアで、ユネスコの後援を受け「三千年紀財団」が開催した「三千年紀への挑戦」と題する大規模なシンポジウム で、基調報告者のイタリアの歴史作家ウンベルト・エーコはこのように切り出した。1)
この発言はやがて「市場原理の見直し」という一つの重要な結論を引き出すことになる。このシンポジウムが世界の学会のみならず多くの元国家元首、 政治家の参加した会議であっただけに、このことは注目されてよい。それは2001年、ユネスコ総会で採択される「文化の多様性に関する世界宣言」の前触れ でもあった。
私自身はこの会議で「異文化間に通底する価値を求めて」という発表を行っている。文化の多様性こそ命、という立場にたちながら、もろもろの文化の深みには万人の頒ち合える倫理的価値が見いだされるはずだ、といいたかったのだ。
「21世紀は精神性を取り戻さねばならぬ。さもなくばその世紀は存在しないであろう。」というアンドレ・マルローの言葉を冒頭に引き、17世紀に 起こった科学革命とそれが生み出した<進歩>の概念、<直進する時>、そして物質中心主義、植民地主義すなわち近代における「存在」から「所有」への価値 の変換を語った。 「世界史における文明像にはひずみがあったことを認識しなくてはならない。植民地主義のもたらした最大の悲劇は、経済ではなく、精神的なもの、すなわち、 伝統をもった民族が、自らの伝統を失った民族によって精神的な隷属関係におかれたことである。これが遠近法的な教科書を作り出した。いまは、普遍的な人類 の文明史が書かれるべき時だ。そして重要なことは、植民地時代とは、西欧の本来の精神が世界を支配した時代ではなく、西欧そのものの精神的価値を否定した 異なる時代精神が世界を支配した時代であった、と知ることである。・・・・・」
近代民族国家の「他文化蔑視」と「独占の原理」は「戦争の論理」を生み、戦争の世紀であった20世紀を創り出した。いまわれわれは、シルクロード の時代が持っていた「他文化の尊重」と「頒ち合い」の心を取り戻すべきである。文化は多様性のなかでこそ花咲き、その出会いの中に命が生まれる。そして、 すべての文化の深みには、人間性の普遍なもの、通底する価値が見いだされるはずだ。
フランス語で行ったこの発表は、ただちに熱っぽい反響を引き起こし、会場を埋めた若者達とプレスに取り囲まれることとなった。
その翌日ドイツ、チュービンゲン大学のハンス・キュングも、これと趣を一にする発表を行った。グローバル・エシックス(地球的倫理)を説くこの神 学者は、ハンチントン流の「文明の衝突」ではなく、むしろ信じるものと信じないものとの紛争を冷戦後に見ている。各地で原理主義の台頭を見るいま、宗教間 の平和は如何にして可能か。そこで彼は、各宗教が内包している「倫理の次元」でのコンセンサスの可能性を説くのだ。キュングによれば、新世界秩序は新倫理 秩序から生まれる。そして、エチカ・モンディアーレ、すなわち「新しい世界倫理」は文化の多元性の上になるものである、という。
このバレンシア会議で他の歴史学者も指摘した如く、エーコのいう「飛矢のモデル」は、ヘーゲル、更にマルクスの歴史哲学に顕著である。しかもそれ は、後述するように、1993年、スイスのロカルノでのシンポジウムで私が述べたように、アウグスチヌスの『神の国』(Civitas Dei)にまで溯るものである。2)そこでは城壁を持った「神の都市」が、同じく城壁を持った「悪魔の都市」と戦いながら一方向性を持って進む。すなわち 「時」はユートピアに向かって一直線に流れてゆく。更に言えばそれは、ゾロアスター教におけるアフラ・マズダの世界の実現と根を一つにするものである。
問題は、このような目的論的な直進する時の概念が、果たして本来の西欧のものであったのか、ということである。
安田喜憲氏の言うように、「風土が食を決め、食が文明を決める」とすれば、西欧にはそのような時間論を生みだす風土があったということになる。し かしヨーロッパは古来緑の大地であり、その大半は森で覆われていた。森の文化がそこにはあった。ヨーロッパの先住民、ケルト民族の文様はなべて曲線、紀元 前2000年地中海に栄えたミノア文明のやさしい色彩、豊饒の女神の信仰と相まって、ここには渦巻き模様の象徴する循環する時の概念と母性原理が存在した ことが明らかである。縄文文化とケルト文化に通底するものがあることは梅原猛、鶴岡眞弓両氏も指摘している通りである。
直進する時の概念は、本来のヨーロッパではなく、一神教の出現と密接に結びついているのである。それは西アジアの砂漠地帯で生れた。苛酷な自然、 人の生を奪う自然が「約束の地」を、そして「天国」の観念を生んだ。それは未来に設定されねばならなかった。現実は「欠如態」(Privatio)3)だ からである。その厳しい現実から「選民」を「楽園」へと導くものがメシアである。その「未来」は、初めはこの現世に想定されていた。モーゼは、シナイ山で エホバと契約を結ぶ。そこで生れた「選民」を約束の地に導くはずであったが、果たせなかった。ナザレ人イエスも、一旦は膏油を塗られたもの=メシア(キリ スト)と目されたが、ユダヤ人を救い出せないユダヤ人の王として十字架にかけられた。
地上に約束された楽園が実は存在しない、と判明した時、それは死後へと、持ち越された。天国は此岸ではなく「彼岸」のものとされたのである。そこ に説かれる永遠の生、それは「再生」ではない。「復活」である。循環ではなく、終着点である。そしてこのような超存在としての永遠を可能にするものとして 超越神の観念が現れたのである。自ら戦死せざるを得なかったゾロアスターにとっての彼岸、旧約の世界、ハルマゲドンを#Wて最後の審判にいたる啓典の世界 は、すべてこの直線的時間論に立っている。7世紀にアラビアに現われた「神の使い」ムハンマドの言葉に宿るのもこの啓典の時間論の確認であった。
西アジアの砂漠の民の中に生れた超越神的一神教に個有な直進する時間論は、本質的に選民思想であるヘブライズムの中核をなすものとなった。これが 4世紀ローマ帝国によって国教化されたキリスト教によりヨーロッパに入る。緑の大地に砂漠の思想が、曲線の世界に直線の世界が導入されたのである。啓典の 民が抱いた一神教、それはヘーゲルによって究極の宗教形態とされた。「歴史」もまたこの啓典の民に特有のものである。キルケゴールはその著『瞬間』におい て、「超越が内在に関わった瞬間<歴史>が生れた」と述べている。
93年のロカルノのセミナーで、私はマルクス史観を批判するに当って西遊記の一場面を引いた。孫悟空が自らの超能力を師三蔵に示さんとヤ遠l雲 (きんとうん)に乗って一瞬にして千里を飛ぶ場面である。彼は地の果てと思われるところに三つの峰を見付け、その中腹に自らの名を書きつける。三蔵法師は 戻ってきた悟空の自慢げに話すその冒険談を聞き終えると、やおら自らの掌(たなごころ)を開いて見せる。何と悟空が千里の彼方で書きつけたはずの名はその 中指に書かれていたのである。「猿の王の冒険が所詮は仏の掌を出ていないのと同様、キリスト教を否定したマルクスもまた『神の国』のパラダイムを抜け出し ていない。」4)
ヘーゲル・マルクスの歴史哲学はユダヤ・キリスト教的時間論の中にある。それがエーコのいう「飛矢のモデル」である。
それでは西欧においては古代の自然信仰、大地母神の信仰は完全に失われたのか?決してそうではない。大地母神は中世に既に復活する。スコラ哲学の 最盛期、すなわちカトリック教会がその絶頂にあった13世紀に建造されたシャルトルの大聖堂は、聖母マリアのための家であったが、ここはその昔ケルト民族 の聖地であり、ドルイド教の女神が祀られていた場所なのである。ここのみならずサンティアーゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に現われる数々の黒いマリア は、隠れキリシタンの崇めたマリア観音のように両義性をもつものと私は見ている。大地母神が福音書の聖母と重ね合わされているのだ。カタロニアのモンセ ラット修道院の黒い聖母を見た時、その思いは決定的となった。ヨハネ・パウロⅡ世によって欧州随一と評されたマリア像である。
「これはイシスだ!」
その深い色、端正な形、膝の上中央に置かれた幼な児の位置、それは古代エジプトの豊饒の女神、産霊(むすひ)であるイシスそのものなのだ。黒はエジプトで神と王家の像にのみ許された色なのである。もしそうならば、この時点ですでに大地母神は甦っているのである。
ヨーロッパ人の心奥に潜む生命の母への想いは、ルネサンス期の夥しい数の聖母像となり、各地に見られる聖母の祭典として拡がってゆく。そして光溢 れる地中海に近づくほどに、聖母は教会の暗い内陣を抜け出し、屋根の尖端へと登ってゆく。生命発生の揺籃たる海を見詰めて・・・。ジタン(ジプシー)の聖 地サント・マリー・ド・ラ・メールの祭典にはもはやイエスの姿はない。イベリア半島においても然りである。
16世紀、ルターとカルヴァンによる宗教改革は、教会の腐敗の断罪であると共に、多神教化したカトリック教徒の告発であったのだ。三位一体の教義 そのものの多神性ではなく、そこに入らないキリストの母の神性の否定である。またそれは、その多くが土着の貴人である諸聖人を否定した。すなわちそれは本 来のユダヤ・キリスト教的伝統への回帰であった。われわれはそれを、キリスト教も含めたヘブライズムの歴史にしばしば現れる原点への回帰、原理主義運動の 一つの大きなうねりと見ることができよう。そしてマックス・ウェーバーのいう如く、プロテスタンティズムは西欧近代化への道を開く。近代化とは循環ではな く直進、母性原理ではなく父性原理の道である。前者は包含し、後者は分割する。カルヴァンの意図を離れ、その頃発生した資本主義は、すべてを物量化し、数 値化した。数値化による直進的進歩が近代化であった。

2.啓蒙主義とは何か?

精神的動乱の中世の黄昏、アラビア人によるギリシア再発見に触発された西欧に、ルネサンスが訪れる。それは人間の美と能力の再発見であり、就中人間 理性の優位の確信である。長い助走路を#Wて19世紀にピークを迎える科学主義は、18世紀の啓蒙主義と18世紀末の産業革命が生み出したものであるが、 17世紀の科学革命が既にそれを準備している。それはデカルトがその『方法叙説』に書き込んだ「人間は自然の主にして所有者」(maitres et possesseurs de la nature)という言葉5)を、その前に付されたcomme(恰も)という語の意味を考えずに援用したものである。すなわち、神は人間の理性と自然に同 じ法則を書き込んだ、従って理性は自然を理解し、統御することができる、というのである。自然は人間による征服の対象となった。進歩(progress) とは、従来不可解であった現象を解き明し、明された物質の法則を組み立て、その発明品によって人間生活の質を向上させることであった。人びとは、その時、 薔薇色の未来を信じた。しかしその同じ人びとが気付いていなかったこと、それは、直進する時間論はヘブライズムに特有のものであり、そのヘブライズムに属 する三大宗教は、いずれも「終末論」をもつ、ということである。
啓蒙主義は、かくして「理性」を人間の諸能力の頂点に立てたが、このことは全人的教育、人格形成にひずみをもたらすことになった。注意すべきは、 このひずみが、同時に、差別の原理となったことである。それは、まず男女を差別した。啓蒙主義は人間の左脳の働きを強調するが、女性においては左右の脳の 間にダイナミックな相互作用があり、理性は心情の影響を免れないからである。次にそれは子供を差別した。子供には未だ完全な理性の使用が不可能だからであ る。更にそれは西欧以外の文明を差別した。伝統的価値を生きて来た世界の多くの諸民族にとって、理性・感性・霊性は混然一体のものだったからである。これ が同時進行中の植民地主義に正当性を与えた。すなわち、「未開のものたちを<文明化>する」と。「文明」とは、西欧啓蒙主義の生みだした理性中心主義、科 学主義、それが可能にした物質的繁栄、それを支える資本主義制度のことに他ならなかったのだ。
啓蒙主義に立脚した19世紀の進歩論者は、その楽観的未来観を二つの反省されぬままの大前提の上に立てていた。 1. 人間は自然を征服する権利を有する。
2. 自然は無尽蔵である。

この二つとも虚構にすぎないことは、今や明らかである。この時の無反省は化石燃料の発見に伴う驚異的な人口の増大となり、資源の略奪となり、エネ ルギー消費の爆発となり、今日の地球温暖化を招来した。そして地球は、この虚構を作り出した民族が内包した時間論に従って、彼らの忘却していた「終末」へ と確実に歩を進めている。更にすべてを数値化した資本主義がこの動きに拍車をかけている。地球と人類の運命を考えない個人的集団的エゴイズムのために、毎 日一兆ドルものお金が、自由市場の名のもと、電子マネーとして地上を行き交い、貧富の格差を増大している。
伊東俊太郎氏は、その五大革命説において、他の四つの革命が世界各地に同時多発的に起こったのに対して、五つ目の科学革命がヨーロッパという一地 域のみに起こったと指摘している。それは何故なのか? 私はそこに、この地域特有の「聖俗の拮抗」を見る。科学は神学と戦ったのである。それは血塗られた戦いであった。フランス革命は単に王権を否定したのでは ない。教権をも否定したのである。理性と信仰の戦いが前者の勝利で終わった時、それは飛躍的に拡大し、諸価値の王者となった。こうして人類600万年の歴 史から見れば二万分の一の時間帯に過ぎない異常な事態が出現したのである。
1992年、東京での世界科学ジャーナリスト会議に出席したジャック・イヴ・クストーの発言にも注目したい。
「科学は本質的にValue free(価値の問題を問わない)」
ここに宗教から訣別した近代科学の実態が明らかにされている。地球システムの破壊は、この西欧という一地域に起こった聖俗の拮抗に始まるといってよい。

3.木を伐る文明

それでは、自然を征服すべき対象とする文明観は何時どこで生まれたのか?前述したように17世紀科学革命の父と目されるデカルト・ベーコンの影響も あった。しかしそれは「ミネルヴァの梟は黄昏になって飛び立つ」とヘーゲルがいみじくも述べたように、時が熟していた、ということである。 『旧約』の世界には既に人間が神の写し身(Imago)として他の生き物を従え、自然の頂点に立つ姿が画かれている。そしてこの『旧約』を生み出したメソ ポタミアの神話には『ギルガメッシュ叙事詩』があり、そこに「フンババの森の神殺し」が登場する。これは森の伐採とそれが惹き起こした環境破壊を物語るも のに他ならない。
ヨーロッパ文明は、エジプトにではなく、メソポタミア文明に直接している。エジプト文明はキリスト教に「最後の審判」等の描写で影響を与えている が、森を伐り灌漑を基礎とするメソポタミア文明とは異なり、ナイルを神とし、ナイルと共に生きる文明であった。太陽を崇め自然と共生する姿があった。時は 循環していた。
Civilizationという語がcivitas(cite,city)の語を内包する故に「文明」とは「都市化」であるという人は、そのキ ヴィタスが何を意味するかを考えねばならない。それは単なる都市ではなく城塞都市である。メソポタミアの諸都市がそうであり、北方民族が支配してからのギ リシアではそれはポリスを呼ばれた。それは集落でも都でもなく、城壁を廻らせた集団防衛のシステムである。すなわちそれは戦争を想定した建築形態なのだ。 中東に発したこの都市形態は西はヨーロッパ、東は中国にまで及ぶ。そしてその分布は麦作牧畜民の居住地域とほぼ完全に一致する。
しかしこのような城塞都市をもたなかった文明も存在した。エジプト文明、マヤ文明、クメール文明が然りである。そこに残る壮大な石造建築群はは神 殿であり、城郭ではない。君主を初め人民の住んだ家は、泥ないし木で造られていたため、その姿を留めていない。石を持たなかったインダス文明にあっては神 殿さえもない。その進んだ都市計画は、そこに、インダス河交易が繁栄した可成り平等な社会が存在したことを思わせる。日本でも平城京や平安京は都であって も城塞(キヴィ)都市(タス)ではなかった。それらは長安の都市計画を取り入れたが、その城壁を取り入れていない。以上の検証は文明=都市化の議論に再考 を促すものである。
城塞都市の出現は「木を伐る文明」と密接に繋がっている。メキシコの人類学者サンチアゴ・ヘノベスは、「農業革命が民族間の暴力を惹き起こした」 と指摘したが、6)私は牧畜の方に更なる要因を見る。畑と同様牧場は森を伐り開いて造られた。ヨーロッパはかつて森に覆われていたが、その70%がエーコ のいう2000年のうちに失われた。開拓(Clearance)こそが西欧の歴史であり、それはアメリカにも引きつがれる。そこでは実に90パーセントの 森が失われた。安田喜憲氏のいうように「牛と羊は欧州の森を食べつくした」のである。7)ケルト民族、ドルイド教の聖樹であったオークは切り倒され、森に は悪霊が住むとされた。この考えはグリムやラ・ フォンテーヌの童話にも残っている。
われわれはここで、古代ギリシアでアテネと匹敵する文化センターであったエフェソスの運命を想起しなくてはならない。哲人ヘラクレイトスを生んだこの都市は、外敵によるのではなく、樹を伐り、羊を飼ったことによって滅びた。水体系の破壊が起こったのである。
「人類が今進んでいる道を変えなければ、地球はイースター島の運命をたどるであろう」というクストーの警告8)こそわれわれの常に留意すべきもの である。巨大なモアイの虚ろな目は、人間の無知によって、この島の最後の樹が伐られ、この島に存在した文明が滅亡するのを見とどけた目なのである。復活祭 の日に発見されたこの島の海岸の岩には、鳥人の図が刻みつけられている。「鳥になってどこかへ行きたい」と訴えているかのように。しかしわれわれがこの地 球を離れて飛んでゆく島はないのである。

4.森に神宿るとする文明

西アジアに始まりヨーロッパに至る『直進する時の文明』は、自然を征服する文明であり、それは森の伐採から始まった。それは戦争の原理を内包する文 明であったのだが、19世紀、いや20世紀に至るまで、それのみが「文明」と呼ばれてきたのである。しかし、この文明の行きつくところが地球システムの破 壊であり、終末である、と見えてきた今、われわれは歴史哲学によって未開とされてきたものにこそ、真に文明と呼び得るものが存在することを告知しなければ ならない。それは、自然を征服するのではなく、自然と共生する文明、「森に神宿る」とする文明である。大自然の水の循環に、限りない生命連鎖、大いなる命 (いのち)の循環が存在することを、無意識のうちに、すなわち、頭脳によるのではなく全人的に会得していた文明である。
学的な体系はなくても、人びとは森の保水力、水の織り出す彩なる生命連鎖、今にいうエコシステムを感知していた。それは全地球的に存在する古代の 英知であったが、とりわけモンスーン・アジアに顕著であり、ほゞ稲作文明圏と一致する。 和辻哲郎がいみじくも「いのちの風」と呼んだモンスーンは、大洋の生み出した水蒸気を運び、それは山に受け止められて雨となる。それはヒマラヤのような高 地では万年雪となり、その麓に森を形成する。森と雪、この2つが千の人口ダムも及ばぬ貯水池なのである。そこから徐々に流れ出す水は、小川となり、微生物 を含み、小生物を育て、それを食べるすべての生物を養い、田畑を潤し、家畜を育て、人を生かし、やがて海に流れ入る。滋養分に充ちたその水は海中の生命を 育て上げる。やがてそれは太陽によって水蒸気となって空に登る。そして再びモンスーンによって山へと還ってくる。この循環のためにはモンスーンを受け止め る山の存在が不可欠である。雨をもたらす山は神となる。われわれはここに山岳信仰の根源を見る。
インドの輪廻(Samsara)の思想の本質もまたこゝにある。ヒマラヤの霊山カイラスに住むとされるシヴァの頭からは大蛇が生まれ、その体に巻 きつきながら降りてくる。その大蛇が他ならぬガンガすなわちガンジス河なのである。シヴァは破壊の神として知られているが、本当は水の循環による生命の相 を体現した神なのである。自然は時に人に優しくない。従ってそれは育成と破壊の両義性をもつ。丁度日本の神々が、和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま) をもつように。
稲作漁労民族は、この循環と再生の思想をもっとも良く生きた民族である。神社は神の住まいである森の入り口である。建物が神域なのではない。鎮守の森を初めとし、神の依代(よりしろ)となるすべての木々、それを生んだ山と森が神域なのである。
この思想が現在のエコロジーと合致することに注意しよう。南方熊楠が何故明治政府による1906年の「神社合祀令」と闘ったか、もここから分かっ てくる。那智の山中で粘菌を観察していた南方は、この植物と動物の接点である生物一つが生きるにも、高い木、中間の木、低い木、そして下草が全体として保 全されていなければならないことを知ったのである。9)そして農民漁民の生活もまた同様であると。
稲作文明圏のエートスを象徴するものに棚田がある。日本にもそれは存在するが、雲南・バリ島・ルソン島に顕著な例を見ることができる。(ルソン島 北部コルディリェーラ山脈の棚田は世界遺産にも登録されている。)山から与えられた水を一滴も無駄にすることなく全村民の水田に引くこの技法には、既に 2000年以上の歴史がある。現代のある技術者はこれを見て、「まるで集積回路のようだ」と言ったそうだが、全員が生きるためのこの水の配分システムは、 何ごとも、よりあいを旨とする「共同体」の意識を育んだ。「個」ではなく、「和」が人倫の基となる。和は山と森と水が創り出した倫理である。

5.文明の多様性

「地球の生存は、今や人類の中心的かつ直ちに解決すべき問題となっている。地球の現状は予断を許さないもので、科学・文化・経済・政治のすべての領 域での迅速な行動と全人類の意識の涵養を必要としている。われわれが知らねばならないのは、地上のあらゆる民族が、共通の敵と一致して闘う必要がある、と いうことだ。その敵とは、環境のバランスを崩す行為、また、われわれが未来世代に残すべき遺産を削減する行為である」
と、既に1989年、ユネスコのバンクーバー宣言は明言している。1992年にはリオデジャネイロの地球サミットで、維持可能な発展(Sustainable Development)という概念が生れた。 Sustainabilityとは産業発展の維持ではなく、地球環境を維持できる限りでの開発を意味する。
しかるにその後も人類は物欲にとらわれて地球を破壊しつづけた。特に深刻な問題である温暖化の元凶であるCo・の22%を排出しているアメリカの 現政権は、前政権のサインした京都議定書から一方的に撤退、自国の経済優先を標榜している。共産党体制のまま自由経済に転向した中国も、年10%という脅 威的所得拡大のおかげで、遠からずアメリカのCo・排出量を越える可能性が多いが、この国はインドと共に議定書による責務を負うていない。
2007年2月、パリで開かれたIPCC会議(気候変動に関する政府間パネル)は、「人的要因により21世紀末までに気温は1.8~4度、最悪の場合は6.4度上昇する」と公表した。これは地球システムの生態系に壊滅的打撃を与える数字である。
進行中のグローバリゼーションとは、人類が連帯することではなく、一つの価値、すなわち<市場原理>というアメリカ的価値が他のすべての価値を圧 していく姿である。それはブルドーザーのように他文化のすべての価値を押しつぶしていく。一世紀前6000存在した言語はすでに3000に減少したが、今 世紀末にはそのまた半数が失われると言われている。そして言語の消滅は文化の消滅を意味する。
ユネスコによる「文化の多様性に関する世界宣言」(2001)とその条約化(2005)は、この帝国主義的グローバリゼーションに激しく異議を唱えたものに他ならない。
「自然界に種の多様性が必要なように、人間の生存にとって文化の多様性が不可欠である」とするこの宣言は、1995年の東京シンポジウムにおける ジャック・イヴ・クストーの証言に負うところが大きいが、10)これは奇しくも南方熊楠の観察と重なり、鶴見和子をしてその曼荼羅的世界観へと導くものと なった。11) この世界観にあっては他者(非自己)はもはや寛容の対象であるにとどまらず、自己の存在にとって不可欠の存在なのである。諸々の異る存在のおかげで自己の 存在がある。「私」は生きるのでなく、生かされている、のである。

6. おわりに

文明が生きるには出会いが不可欠である。文明史を見ると、それは単なる共存ではなく絶えざる「共成」であった。1985年、ユネスコによる「シルク ロード、対話の道」綜合調査計画を発足させるに当り、私はそれを「文明間の対話」と表現した。「文明は出会いによって子を孕む」12)のである。もし世界 が単一文明となり、出会うべき相手が無くなった時が到来すれば、それは文明の終焉の時であろう。「魂の領域に市場原理を認めず」とした2005年の文化多 様性条約は、この意味で重要である。この条約はユネスコの殆んど全加盟国という圧倒的絶対多数によって可決されたものであるが、最後までこれに断固反対し たアメリカは、条約発効に必要な30ヶ国の批准阻止に今も動いている。
理不尽なイラク戦に加え、今人類が直面する気候変動による生態系の危機に対しても、それを惹起した要因が人為的であることを否定しようとする、エ ゴイズムに立脚したな経済至上主義、この憂うべき現状はすべて「無知」に由来している、と言わなければならない。文明に対する無知である。
文明は衝突しない。無知が衝突する、のである。
89年、ベルリンの壁の崩壊によって冷戦時代の一極であったソ連陣営の解体が始まるが、それは、全体主義化した社会主義の自己崩壊であり、決して 資本主義の勝利でも正当化でもなかった。「自由と民主主義」の美名のもとに押し進められるもの、それは「所有」の自由であり、「存在」の自由ではない。民 主主義と呼ばれるものの現状、それは国家的個人的エゴを正当化するポピュリズムであり、地球市民の自覚による参加形式ではない。
今は、隣国との利害抗争ではなく、母なる自然のバランスを崩す行為こそが人類共通の敵である、と知るべき時である。人類史の二万分の一の時間帯に 起った、自然を征服し地球資源を収奪する文明が唯一の文明ではない、と学ぶべき時である。幸いにこのような反省は既に西欧に起っている。かつて西欧文明に よって征服された少数民族の抱く価値も再評価され始めている。直進ではなく循環が、所有ではなく存在が、理性ではなく全人が問われ始めた。この動きは、し かし、未だ少数の目覚めた人々に限られている。そして、われわれの未来世代から信託されたものとしての地球環境の危機に関しても、すべてを数値化して説明 しようとする姿勢をとるならば、それ自体が理性中心主義という西欧文明の枠を抜け出していない、といわねばならない。
今求められているのは眞の文明間の対話である。それは、かつて啓蒙主義が宣伝した「普遍的」なるものではなく「通底する」ものを探るであろう。何 故ならばそれは、すべての文化、特にかつての被征服民である少数民族の文化に敬意を払うもの、すなわち単なる理性ではなく、感性と響き合う理性によってこ そ為しうるものだからである。
人類はこの反省を成し得る。その証拠として、啓蒙主義の母国フランスに生まれたアレクシス・カレル13)がすでに1940年代に提示した、現代人 の歪んだ価値システムと自然と共に生きた場合のそれを併記した図(Fig.1)を紹介しておこう。カレルはノーベル医学賞を受けながら大戦中ヴィシー政権 と協力した咎で追放され、彼の念願であった人文科学研究所の設立はならなかったが、この図は欧米にも現在の我々と思いをひとつにする人が存在することを証 明している。
現代人の歪んだ価値システムと自然と共に生きた場合のそれを併記した図
アレクシス・カレルの例が示すように、強靭な西欧の知性は絶えず自らを批判することを厭わない。芸術の動きもそのことを立証している。大地母神の 密かな復活についてはすでに述べたが、啓蒙時代の最中に現れるロマン主義文学やバロック美術もまた、女性原理への回帰という側面をもっている。また、象徴 主義の詩人は言葉の響きを、印象派の画家は自然の光を、共に感性で捉えている。このことに注意すれば、人々が何故ガウディの未来の大聖堂、サグラダ・ファ ミリアに心惹かれるのか理解できよう。ここにあるのは曲線であり直線ではない。それは岩窟を思わせながら、天と地を結ぶ。尖塔の頂きは植物である。それは カトリックの大聖堂の枠を遥かに超え、諸宗教の通底を示唆している。
冒頭に引いたバレンシア会議で、未来型倫理の根本的価値として最も多くの参加者が口にした言葉はCompassionであった。すなわち「痛みの分かち合い、慈悲」である。
ヤスパースが広隆寺の弥勒菩薩に感動したように、我々はバッハの音楽に心を揺さぶられる。クロード・レヴィ=ストロースは、齢97にして、嘗ての 被征服民である少数民族の自然観を哲学と呼び、先進国はそれこそを学ぶべきと説いた。14)「文明の同一性は異差性よりも重い」とはトインビーの言葉であ るが、我々は世界を東西に分け対峙させることをやめ、意識ある人々のすべてと共働しなければならない。

1) Ronza,1997,5月号 P.151
2) =.Hommo,La Science et La Nature, Ed.Le Mail,1994, p.268
3) 自然は未完結というこの観念は、Thomas Aquinas の神学にまで導入される。”Natura est privatio.”
4) op. cit. p.268
5) Discours de la methods, 6 eme partie, l.60
6)Santiago genoves,Venice Symposium,1986
7)「文化の多様性と通底の価値」 ユネスコシンポジウム 2005
8) New Perspective Quarterly 1996、 『出会いの風景』(麗澤大学出版会1999).P.170
9) 鶴見和子 『南方熊楠論』、『対話の文明』、『遺言』(すべて藤原書店)
10)ユネスコ・国連大学共催シンポジウム。クストー発言全文は『科学と文化の対話-知の収斂』(麗澤大学出版会 1999)に収録。
11)鶴見和子『遺言-斃れてのち元(はじ)まる』(藤原書店 2007)
12) Roger Garaudy, “Promesse de l’Islam” ( Ed Sevil, 1981)
13) Alexis Carrel (1873-1944)
14) Claude Levi-Strausss、 2005年11月16日、ユネスコ創立60周年記念式典にての講演。『比較文明研究』第12号に収録。