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「自然と人心の地球環境」修復のために

慎みの心で自然との調和を
―「自然と人心の地球環境」修復のために―
清水良衞

 ヒトが文化を創りつつ人間社会へと発展して来た歴史の中で、私たちは今、大きな転換期に立っている。それは人間も共にある生命共同体の地球に、人 間がしたことを原因とする地球環境の悪化であり、過大な人口増と、化石燃料および化石生産物の過度の消費による変化は、年々累積拡大し、深刻な事態となっ ているのである。
 科学の発展と技術開発の推進、化石燃料の消費拡大は、生産力を増大し物質生活を豊かにはしたが、大気汚染、水資源の減少、土壌汚染、森林破壊などをもた らしてしまっている。一方、人口増は、砂漠化や部族抗争を続発させ、民心を不安定化し、そのことが地域により社会不安を極度化し、社会崩壊へと継がってい く。
 この世は自然環境のみでなく、人心面での健全性も失い始めており、それは資本主義下の社会をも変質させている。利己優先でこれが資本主義から拝金主義へ と向っているのは、日本に見る通りである。人心の社会的健全化こそ、何よりも今、考えねばならぬことで、地球上の全ての問題の基礎と言えよう。
 産業革命以来、人間社会の進歩には社会思想や社会制度など、多くの面でそれ以前と較べ改良改善され、とりわけ科学と技術の発達は、医学(遺伝子医療や臓 器移植技術等)や天体宇宙工学(宇宙飛行実現や火星探査等)にも大きな進展をもたらした。そして情報時代の最新の成果には超スーパー・コンピュータまでが 出現して来ているのである。
 これらの科学や技術を発展させて来たその間に、これらの進歩に見合うだけの同じ進歩が、人間としての社会倫理の面にあったであろうか。日本では平和主 義、民主主義、人道主義を叫び、男女平等を求め、社会が豊かになりながら、人心の倫理的健全化を高めることは無かったのである。就もそれは日本に限らず世 界全体に共通の現象でもある。これが地球の自然環境悪化と拡大の中で、利己優先から生じている所に、一層の深刻さがある。
 その背景には善き伝統と価値までも否定し去ることが、戦争との決別と信じ、自由と民主の名の下、身勝手な価値観の多様化を拡大混乱させて来た現実だっ た。そこでは人間社会の健全化に向けた具体的目標と、その実現策を示せずに来た一方で、個人も国家も刹那的で目先の利への駆け引きに引き寄せられ、争いを 激化させて来た現実がある。世界視野で求められる平和実現のため、共存的理解の普及に向けた具体的戦略目標と戦術展開が、今こそ求められるのである。
 それには、今日、各地の紛争のもとになっている、西欧植民地主義時代の分割統治政策がもたらした、近代の愚をくり返すことなく、生活文化の中で共通の、 類似要素に従った様々のレベルで世界を何分化し、争いを減らしていくことで争いを止め、自然も浄化されることで前進させ、部分的にも豊かさを示す必要があ る。その点に関しては、戦後日本がこの60年間に示して来た不戦の実績は、問題もある中で必ず評価されるだろう。
 難題は、平和達成を妨害する程の信仰の在り方を、当事者たちがそうは思わない現実があり、一方で、自主努力は全くないまま他国の援助だけを当てにする 人々の、減らないことである。だが、これを難題として今のまま放置してならないのは、同じ地球上の自然環境改善への努力と同じ程に必要なのである。
 私たちの住む世界を今日の姿にして来たこと、それを歴史の中で進歩と言えるのか、これは大いに疑問の残る所である。便利と効率で得た科学と技術の成果 は、一部に科学万能観まで生み、人の心の在り方まで変えて来たが、今気になるのは、その変化のもたらす行く末である。かつてそのことに関連し、「現代は文 明が進歩する一方で、文化は退歩している」との感想を私は書いたことがあったが(注1)、それは今も変わっていない。
 地球環境の中の自然状況の悪化とは、結局の所、他者や地球全体への配慮を欠いたまま拡大する利己の上に現われた、大量の生産と消費に慣れてしまった、先 行近代人の生き方に第一の問題があり、未発展地域に残る人々への社会開発の遅れが、並行してその次にある、とは言えまいか。
 この様な中で私には、日本で生まれ育った古神道世界の生き方が、尊く思えてくる。それは自然をカミとし、慎みの心で生きる姿であり、アイヌの人々の生活 の中に今も残る生き方で、自然との調和的共存がそのまま人々の関係にも及んでいる。それが日本の伝統としての「和」の基にあり、維持されて日本の伝統の柱 となって来たことが思われる。
 それは自然をそのままに尊ぶ、素朴にして慎みのある生活に養われて来た、自然と共存共生する和の姿であり、遥か遠い昔の世界ではあるが、今も私たちの心 のどこかに残る生き方であり感性であって、この島国に生まれ育った人ならば、自ずと祖先からの生き方の内に受け継いでいるもの、と言えるだろう。
 何年も前になるが、JICAその他の事業で来日する海外からの研修生に、日本と日本人について話す機会のあった私は、既にその頃から消えつつあった「もったいない」という言葉をKey Wordに日本を語り、この言葉が消えていくなら、そのまま国際語にしたいと、これをMottainizationと自称、ドン・キホーテの如く、一人取り組んで来た。
 昨秋、本田技研工業の創始者が設立した財団IATSS FORUMから、その設立二十年を記念する会に招きを受け、久しぶりに鈴鹿を訪れた。私はその開講時から十年程、日本学の講義をお引き受けしていたが、ア ジア諸国の受講生は一様に、この「もったいない」に共感し、熱心に耳を傾けてくれていたのを思い出す。私の帰京後、財団事務局から「もったいない」が、こ こでの流行語になり、無駄な電気を消してくれたりしています」とのお便りを頂いたこともあった。
 そして時代が変わった。アフリカで社会開発や環境保護に取り組むマータイさんというノーベル賞受賞者が来日、小泉首相との話に「もったいない」という日 本の言葉を知り、大きな関心を寄せ、これが彼女によって国連でも語られ、日本人に国際的関心を与えたことで、日本人自身が再びこの言葉を取り戻しつつある のは、嬉しいことである。若い頃からボーイスカウト活動に関って来た私は、その創始者ベーデン・パウエル将軍が日本の武士道に関心をもち、スカウト指導者 への教典に四十七士のことを紹介している事実に、日本の言葉や精神の中にも世界レベルで注目され、学ばれるもののあるに注目したいと思う。「もったいな い」はその一つである。因みにこの言葉は室町の頃「勿体無し」から出て、万葉集には「あたら」が使われていた。そのものの本来的にもっている価値に「当ら ない」使われ方をした時に「あたら」の原意があり、その無駄を悔やむ言葉である。
 さて、高度経済成長期に私がサラリーマン・ライフを送っていた頃をふり返り、その頃の日本の社会一般にあった意識を眺めてみたい。その頃の日本は今の中国のように経済力を膨張させている時で、Economic AnimalとかWorkaholicと世界から批判される反面、国内では公害という言葉も出始め、その後はウサギ小屋も出て、労働時間の短縮が欧米並みに求められていた時でもあった。その結果、土曜日が徐々に休日となり、祝祭日も増えていった。
 時系列的には前後するが、アラビア石油という原油生産会社にいた当時の、二つのことを思い出す。一つは総務課に配転で、窓に差し込む陽光のもと、大きな 部屋の天井に並ぶ蛍光ランプの、窓からの明るさはそのままに天井の電灯が全てついていることが大変気になって、私はこれを消そうとした時、電灯は入り口の スイッチ一つで全て消えてしまうことに、気がついた時のことである。天井の電灯一つずつに紐をつけるとか、区分点灯する方式の実現していくのは、多分、第 一次石油危機の後ではなかったか、と思う。それ以前の経済成長期、人々には既に「もったいない」の感覚はなく、浪費と消費の区別もなかったのである。高度 経済成長期の日本での電力消費感覚は概ねこの程度のもので、それは何処にいても大差はなかったように思う。私の電灯の無駄使い改善の進言は、「バカなこ と」とある人に一蹴され、まわりの雰囲気も似たようなものであった。但し、その人は他にもっと為すべきことがあると考えていたかも知れないし、改修費用の 効果を考えていたのかも知れない。話はそれ以上、進まなかった。
 企画調査課に移ってある時、富士山麓の研修センターで石油関係会社主催の勉強会があり、そこに派遣された。古い記憶だが、5、6人が一組で討議があり、 私たちの組だけが「石油の適性消費」を最終消費者に求めての提言を行った。他にも論ずべきことは沢山にある中で、我々の討議は「めづらしいテーマ」と紹介 され、報告したのを憶えている。堺屋太一氏の『油断』が出たのはその後のことで、ある機会に私も、通産省でその一冊を同氏から頂いたことがあった。これは 石油が日本に入らなくなるとどうなるか、そこに生じる社会状況を描いた迫真の作品で、当時この本が与えた人々への衝撃は少なくなかったと思う。石油漬けに なっていて、しかも資源なき日本列島の深刻な、今も変わらぬ実態を人々に知らせたもので、映画になったらよいと思った。
 これ以前、私はアラビア石油の現地鉱業所にいて、昭和35(1960)年夏から37年春まで在勤、その後、昭和42年に再度赴任、帰国後も何度か現地へ の出張と滞在があり、その間には、パレスチナとイスラエルとの今日に続く危機や戦闘もあった。原油価格も初期赴任時の公示価格に較べ、今日では米ドル建て で五十倍にもなっている。但し、ドルは円に対し3分の1になっており、その上、日本で開発した鉄鋼、造船、電化製品等の生産現場での省エネ技術にも支えら れ、原油の消費効率は遥かに高くなっている。従って今日の原油価格の高騰も、日本経済へのインパクトが、そのまま50倍という訳ではない。しかもGNPや 国民所得を考えるとき、私が大学を出た頃の初任給に較べ、今ではこれが15倍から20倍であることを思うと、日本への原油値上げのインパクトは更に低く、 ガソリン値上げの騒ぎの中、高速道路に何十キロもの車列滞留が相変わらずに続いている。そして、さすがに一時期の「大きいことはいいことだ」式の消費の煽 りは消えた。だが「もったいない」を尊ぶ気風は、未だ国民的なものになってはいない。
 学生時代から私には「もったいない」を大切にする意識は普通にあったはずだが、いつの頃からか、特に石油業界にあって日本国内での消費の在り方に、大き な疑問をもつようになっていた。原油はガソリンや石油化学製品のみでなく、電気(電力)にもなる。当時日本にはエネルギー弾性値という言葉があって、国内 での石油消費量とGNPの増え方とは連動するとし、例えば弾性値1.2(GNPの1増に対し石油消費は1.2)などという数値が使われていた。数字など全 てを記憶で書いているので誤りなしとは言えないが、要は「経済成長に石油消費の伸びは当然」との感覚があって、そのための原油確保への期待が大きかった。 事実、石油は日本に限らぬが、産業維持のための血液であった。クレマンソーの言葉を思い出すが、敗戦後の日本にとり、戦中とは別の意味で欠くことの出来な い血液であって、それは今も同じである。山下太郎氏がペルシャ湾底に油田開発権を得たことは、その意味で偉大なことであった。
 ペルシャ湾沖合いの石油開発現場にいて、これを1万3千キロも離れた日本に搬出するのを目のあたりにして来た私には、生産するだけでなく、これが安全に 日本に届くことにも当然の関心があった。カフジ基地から日本までの航路には十数の沿岸国があり、そのどこか一ヶ所で、紛争から戦火が拡大したら、日本への 原油供給に直接の影響が出る。そのような航路を安全に操船して原油を運ぶタンカーの数は大変な数であって、どの一つにも事故は許されないのである。この様 な連携プレーで遠くアラビアから運ばれてくる原油が、形を変えて電気になっても、それが無駄に使われることは何としても避けて貰いたいことであった。大変 な投資と危険の中でもたらされる原油である。昨年度のエネルギー別発電量の割合を参考に示すと、水力8、石油9、天然ガス24、石炭26、原子力31%で ある。
 30年も前のこと、私に機会があり、「サウジアラビアに石油省があるように、日本には資源再生省を設置すべきだ」と提言したのは、1974年のことであった(注2)。
 紙コップ一つ、ビニール袋一枚も、一回限りで捨てられていくのを見るのはつらく、他にもそのままの再利用や資源再生可能なものは山程にある。これを私た ちは豊かと呼んでよいのだろうか。ビンやカンも同様で、最近そのリサイクルが軌道に乗り始めた分野のあることは、日本一国に止まらず世界視野の資源経済の 視点から嬉しいことであり、欧州特に北欧にはこの分野での意識先進国が多い。
 浪費や公害、そして地球環境が問題化する遥か前、日本列島に住んでいた祖先たちは、台風や雨、風や雷鳴、稲光など目前に現出する自然現象の、また太陽、 山、巨岩、滝、森、巨木といった存在の各々の背後に、目に見えない大きな力を感じ、これをカミとして畏れ敬い、畏怖畏敬の念をもってこれを拝んだのであっ た。その伝統は今も日本人の心にあり伝統となって心のどこかに伝えられているものだが、そこにある本質的なものとは、慎みの心であった。現代社会に現れた 諸状況への変化は、この「慎み」の心の衰退消失により生じているのである。しかもそれは、現代人全体に及んでいる現象でもある。今日、地球環境問題で自然 並びに人心を考えるとき、私たちは問題解決への共通の課題として、先ず、この「慎み」の心を取り戻す所から始めねばなるまい。地球上で解決すべき問題には 様々なものがあり、精神主義だけで解決できないのは当然である。
 とは言え、そこにある様々の課題は、結局、心のもち方が現実をつくり出しているのである。自然環境悪化防止には石油と石化製品への過度の依存を断ち、同 時に森林の自然回復を計り、先進国では食糧その他の浪費を止め、人口増や生活状況の遅れには社会開発からの教育で、生き方そのものの向上を計り、生活環境 の改善こそが何よりも求められよう。もとより解決すべき課題は、他にも別記出来ぬ程にあり、その解決方法も色々とあるはずである。そしてこれらを実現させ るには、人間と自然との調和を人間生活の倫理的向上の中で近づけ、科学技術をその目的実現に沿って発展させつつ、次代へとこれを引き継いでいかねばなるま い。目先の利からの科学や技術の発展は、ある時に役立っても、悔いを残すことも多々ある。原子力廃棄物の課題などは、その一例となろう。私たちはあくまで も、自然と人間生活の調和を計るべきで、その関係を乱してはいけない。私たちは今、歴史から、それも未来の歴史から、反省を求められているのである。私た ちが反省的にその現実を見つめたとき、個々人には身近なところで、大自然への慎みの心のもと、正しい目標に向って具体的実践をしていくことが、求められて いるのである。(完)


1 拙稿「思想と哲学の復権を-設立15年の比較思想会(『信濃毎日新聞』1989年6月2日)。
「比較思想学会が設立され満十五年になる。私がこの会を知ったのは、会設立に当たり、当時事務局長役を引き受けておられた現会長峰島旭雄早稲田大教授の一文を、出張先で朝、ふと目にしたことによる。
 一介のサラリーマンである私は、大学に所属し特定分野を専攻する専門の学者ではない。学生時代、在家仏教会の集まりに誘われたり、留学先がカトリックの 国であったり、ビジネスマンとして勤務先が砂漠のイスラム国であったりしたことが、おのずとその関心を日本以外の文化や歴史に広げていったのだと思う。
 外貨の量も十分でない三十年前、日本の今日をだれが予想したであろうか。経済活動の中心が文化の一つの中心でもあることは、世界の歴史が示す通りであ る。世界史的流れの中で、新しい文化の担い手となる自覚が、日本の時代精神としてどこまで育つであろうか。地球規模の歴史と文化そして文明にまで視野を広 げ、現代への自省を込めて平和的共存を求めていかなければ日本の未来は危ういと思う。
 現代は文明が進歩する一方で、文化は退歩している、というのが私の感想である。異論はもちろんありうるし、第一、文明と文化のとらえ方で、その理解も違ってくる。他国への歴史的影響度の大きさから、日本にあるのは文化で中国のそれは文明だ、との見方も成り立つだろう。
 精神が文化で技術は文明だとする一方で、精神文明という言葉もあるから、文明を技術的発展の側面だけで理解するにも限界があろう。とはいえ「歴史の中の現代」の特徴に、精神面での進歩より技術面の進歩が顕著なのは確かであろう。
 科学技術を現代に見るとき、宇宙科学といい、臓器移植や遺伝子組み換えといい、いずれも人間の技をとっくに超えた、神の技の世界のことのように私には思 えてくる。理論的技術的に可能なことはなんでも実現してみせる、ということでの可能性の追求がその背景にあり、新技術が招く社会的影響への配慮を忘れて進 められて来たそのことが、理論と技術の世界に生きる人びとをふるい立たせ、かつ満足させて来たのであった。
 科学や技術が何のためにあるのかと、との問い掛けが思想生活の側面で問われないのも現代の特徴である。どこまで実現出来るかとの可能性命題が、そこでは はるかに熱心に問われて来たのである。そして可能性実現後の現実は、いずれの場合も経済価値の創出だけがそこで深く結びついてしまう。今日的状況の中で現 代への反省に立った思想的深まりや哲学の復権が必要であり、その方面からの現代への発言が切望されるのである。
 技術的に可能か不能かの視点や経済的に損か得かの議論だけでなく、科学の発達と技術の革新に対し、思想および哲学の世界からの積極的貢献が待たれるので ある。六月三日、信州大学松本地区で「東西における善と悪」をシンポジウムのテーマに、比較思想学会第十六回大会が開かれる。」
 2 拙稿「石油ショックと公害」『産業公害』1974年11月号講演録。