刊行物‎ > ‎『会報』‎ > ‎『会報』第1号‎ > ‎

地球システム・倫理の未来に向けて

地球システム・倫理の未来に向けて
吉田 収
平田俊博

吉田収(司会):今までの経過からも十人十色ですし、2時間あるので中に休憩をおき平田先生と交代したく思います。伊東先生の言われた有志四十七士 も皆で賛同者を100名ずつ増やせば4代目には47億人になります。お互い言葉などの指月に捉われず協働しましょう。最近のBBCのニュースではグリーン ランドの氷河流速溶解量が従来予測の3倍速ほどになっているといいます。温暖化は地球規模の海流コンベヤーベルトを止め、気候を変え、森林や珊瑚礁、生産 量、漁獲量などを変えま地球規模の重大危機をもたらします。ニューヨーク・タイムズ紙のコルバート記者も最近の北極圏の温暖化や永久凍土の解凍などの状況 などを報告をしていますが、現代文明はブレーキ無しのアクセルだけの車を走らせているに等しいと言っています。環境問題が始まった頃私はニューヨークの地 下鉄でインデアンが涙を流し「Man started pollution. Man can stop it.(人間が汚染を始めた。人間が止められる。)」と書いたポスターを見ましたが、これから本当に止められるかどうか判りません。現在まさに温暖化で釈 尊の言われたように「世界は熾燃として燃え」ており「子肉経(putta-mamsa-sutta))で砂漠に迷った両親が最愛の子を食べるという物語と 同じく、ロダンの「地獄の門」に嵌め込まれた「ウゴリーヌ候」が子を食べたように、人類は子孫を食べています。しかし仏陀もイエスも物や力の奴隷にならず に最下層と一切に同一化して最も幸せに生きたという先例があるのだから私達にも解決の道は有る筈です。前置きが長くなりましたが発言をどうぞ。
半田栄一:学問のあり方として人文系と自然系の統合が絶対必要であり、そこで環境、霊性、美意識、創造性は欠かせません。宗派争いを超えるには自然と共に 息をして生きることが必要で、魂の覚醒と連帯が重要です。アニミズム、シャーマニズムなどは自然との調和を美とし、奉納などの形で芸能に表現して来ました が、新しいアニミズムを創り出していかなければならないでしょう。
吉田収:統合も個性も必要であり、全と個が「息=生き」て真善美を発揮していくべきでしょう。
小田川方子:安田先生は「アニミズムはアジアにある」と言われましたが、ギリシャ文明、それのルネサンス、そして特に産業革命までは欧州にもあったことを 知っておく方が良いと思います。ルターは「明日死ぬとしてもりんごの木を植える。」と言いましたが、クリスマスのように「(命の)木をまつる」といった例 もあります。「死を覚えておけ(memento
mori)」と言われる様に「智恵」を受け継いで行きたいと思います。
吉田収:何が聞けるか、声なき声、底辺にあるもの、を表面に捉われずに聞きましょう。踏み車をまわす白鼠-自分達-はそれを出て初めて何をしていたか分かります。木、山、一切と道元の言うように「(親)密語」を交わしましょう。
平田俊博(司会):欧州ではドーム、カテドラルなど教会寺院の下を数メートル掘ると、大概、ローマ時代やキリスト教普及以前の、紀元前のケルト時代の聖地 が出現します。アニミスティックで自然融合的な有史以前のケルト文化を、超越的なキリスト教文化が圧殺して、垂直的に覆いこんでしまっている観がありま す。ギリシア哲学者のアリストテレスは人間霊魂を区別して植物霊魂、動物霊魂、理性霊魂に三分しましたが、そのうち、カトリックなどキリスト教徒は専ら理 性霊魂で感性的な植物霊魂と動物霊魂を押さえ込んだところがあります。ヨーロッパ文明が知性主義と称される所以です。これに対して、日本では各地の古刹と 言われる大寺院は殆ど山麓に位置しており、山上には奥の院があります。仏教の大伽藍と神道的な奥の院が空間的、水平的に並存し、目に見えるかたちで仲良く 棲み分けているのです。しかも、そうした奥の院の背後には巨大な岩くらがどっしりと控えております。ヨーロッパ文明と違って、日本文明では自然を崇拝する アニミスティクな原始信仰を圧殺せずに、知的な仏教と調和し共存しているのではないでしょうか。
小田川方子:同感です。日本では田舎へ行けばそういったものが感じられます。将来にむけての対話で同じ土俵に入る為に「共通性」はあると言ったのですが、異質、核は価値あり、残って当然と思います。指月に捉われず危機を乗り越えようということです。
吉田収:時間が少ないので、まだ発言してない方の発言をどうぞ。
鈴木康之:昨日の四つの講演や、フォーラム1,2により学会は環境問題と文明協力の2本柱かと思われるが、この点確認したいのですが。
吉田収:趣意書の通り、4分野ですが、纏めれば2本柱、更には命(システム)の1本柱になるとおもいますが、分析、総合の両方を進めてはと思います。
吉田宏晢:地球システムにおいて「地球人」とはどういう意味でしょうか。個人としてはそれぞれの機関、地域などに属していますが、「科学」も分断、専門化 し他に目を向けないので我々は「地球」の為に集まった訳です。現在起こっている地球問題、生命、宗教、文化間の闘争などを地球人の立場で解決する必要があ ります。温暖化で2050年には破局が来る、アマゾンが干上がり、魚が取れず、森が縮小し、あるいは2億5千万人移住する必があるというが何処へ行くのか などの問題があります。現在人間の状況に対して自然、人文科学が関与し解決しなければならないというのがこの学会の趣旨でしょう。集まった皆さんが中核と なり、それぞれの学会等へ行き問題を提起し、理解、総合し、世界へ発信するのがこの学会の目的だと思います。
吉田収:「知らない」というのが大問題ですね。「イースター島の悲劇」のように最後の木を切り、ついに人肉を喰うに至ったように「何時も通りの事」オリンピックや給料の事しか眼中にないのというのが問題ではないでしょうか。       (以上、吉田 収)

 吉田収先生が司会をされた前半の主なトピックは、アニミズムを基調とする日本や東洋の文明の意義を力説した安田喜憲先生の、前日の講演に触発されたものでした。
 フォーラム3の後半では、参加者全員に発言を求めて、各自が地球システム・倫理学会というこの新しい学会に何を期待するかを語っていただいた。多様な意 見が出ましたが、ほぼ4種のトピックに集約できましょう。地球倫理と情報倫理と生命倫理、それに学会のあり方に関してです。
 第一のトピックは、地球倫理に関します。立木教夫先生が、人類が生き延びるためには地球の外に出て、宇宙的規模で生命を研究する必要をあると提案されま した。これに対して平田俊博が、立木提案に賛意を呈しながらも、そうした研究のコストを誰が負担するのか、と尋ねました。つまり、グローバルな21世紀に は国家が縮小して、そうしたコストに耐え切れないのではないかと問うたのです。
平田の意見によれば、国立大学が独立法人化されたように、日本の国立大学はこれからは国を頼らずに、自前で研究費を調達していかなければならなくなりまし た。その点で私立大学は、それなりの成果を挙げています。例えば、会場を提供して下さった麗澤大学で今見るように、素晴らしいキャンパスを実現していま す。かつて奈良時代に、日本は仏教国家として律令体制を確立しました。律令国家日本の中核は東大寺を中心とした官寺でしたが、100年足らずで官寺はすべ て衰退し、その後に日本を支えてきたのは私寺や民寺でした。本願寺や妙心寺のような民間の寺院が官寺を遥かに圧倒して隆盛し、今日に至るまで1000年以 上も仏教国家日本を護持してきたのです。官寺と私寺ないし民寺との関係は、そのまま国立大学と私立大学の関係に対応するのではないでしょうか。とすれば、 近代国家日本の立憲体制を今後支えていくのは私立大学を措いてありません。国立大学は歴史的使命を終えて、今後ゆるやかに衰微していくのではないでしょう か。例えば東京大学は、奈良の東大寺が今や古代国家日本のモニュメントであるように、やがて近代日本のモニュメントとしての性格を強くしていくのかもしれ ません。偉大な歴史遺産となるのです。
 こうした平田の意見に対して、上智大学の模範例が参加者から紹介されました。環境危機で崩壊に瀕している東南アジアの仏教遺跡などを、上智大学が間髪を入れずに、民間の資金だけで修復に乗り出しているという実践報告です。
 また後藤敏彦先生からは、近代国家としてのネイション‐ステイトは今や終焉しつつあり、その代わりに新システムの構築が不可欠なのではあるが、それにも かかわらず地球倫理が未開拓である、という指摘がありました。だからこそ、我々のこの地球システム・倫理学会は大きな歴史的使命を託されているでありま す。
 第二のトピックは、情報倫理です。ここまでの意見交換を傾聴していた清水良衞先生が、議論の内容を高く評価して、この模様を是非とも新聞などジャーナリ ズムに報道してもらうべきではないか、と提案されました。この提案は即座に参加者全員の賛同を得ました。その上で、議論が、若者と新聞の関係に移りまし た。
 大学の演習で長年NIE(ニューズペーパー イン エデュケーション、「新聞を教育に」)を実践している平田が、それにしても近年、学生たちが全くと 言ってよいぐらい新聞を読まなくなった、と報告しました。新聞の切抜きを持って来なさいと言いましたら、「どこから持って来るのですか?」と、学生に尋ね られる現状について説明したのです。中学生時代や高校生時代には部活と受験のせいで、新聞を読む習慣が全く形成されず、大学生になっても情報はすべてケー タイかインターネットで入手するのが、今の学生気質なのです。こうした学生に対して、わざわざ新聞の意義を一くさり論じて、せめて週に一回でも演習のため に新聞を買ってみたら、と、教師は下手に出て、提案しなければならなくなっています。
 新聞の実状については、清水先生も同感され、類似の体験を報告されました。こうした新聞文化の現状認識に関しては、新聞社員の間ですら相当に温度差があ り、編集者や記者は相変わらず威勢が良いが、それに引き換え、営業マンや販売店は強い危機感を共有しているのです。新聞文化の衰退に関しては30歳台の関 哲之先生からも同感の意見がありました。30歳半ば以下の若者はケータイやネットの文化に汚染されていて、活字を読まなくなっているのです。その結果、脳 そのものが退化しつつある、という衝撃的な体験例が紹介されました。やや年長で、40歳以下の新人類でもなく、50歳以上の旧人類でもない、謂わば中間人 類に属する犬飼孝夫先生も、興味深い感想を述べられました。
 第三のトピックは、主として生命倫理に関するものでした。情報倫理に関する若者の変質に関連して、川窪啓資先生が倫理全般の問題ではないか、と発言され ました。今や日本文明は解体期に差し掛かっている、と危機感を表明され、大方の共感を得ました。次いで正木晴彦先生が、現代医療における人体利用などの問 題を指摘され、これは人肉食にも等しいと訴えられました。バイオ・ハザードです。そして、未来への責任を力説されました。さらに小野先生から、腎臓などの 臓器売買が闇でかなり進行しているのに、生命倫理学会などではタブー視されていて、表立っては議論されていない現状に対して、憂慮が表明されました。生命 一般の倫理とは別に、我々のこの学会でも、医療倫理の問題を改めて議論していく必要があるのではないでしょうか。
 最後に第四のトピックですが、学会のあり方に関してでした。山下和也先生が、オープンな学会であるべきで、学者だけでなく民間の方々も広く等しく受け入 れることが大切ではないか、と提案されて、全員から賛同を得ました。また田中ひろ子先生から、議論ばかりではなく、即、行動に移るべきだ、という力強い意 見が出ました。そこで水野治太郎先生が、実践の倫理について説かれました。
 以上のとおり、実に活発で楽しいフォーラムでした。司会者の非力のせいで、全員の意見を紹介できないのが実に残念であり、申しわけなく存じます。  (以上、平田俊博)